(一社)全国農協観光協会が主催、江戸東京野菜コンシェルジュ協会協力によるイベント「江戸東京野菜を学ぶ」が、先日、東京メトロ有楽町線の平和台駅近くのファーム渡戸で開催された。
10月中旬に、募集が始まったが、今年で4年目を迎えていることから数日で満席となっていた。
新型コロナウイルスの感染予防のために、平和台駅に集合した時点で、体温のチェック、マスク着用の確認をしてから、ソーシャルディスタンスを取って農園まで徒歩で来られた。
皆さんが、ファーム渡戸についたところで、主催の全国農協観光協会・平川萌々子さん(写真左上の右)の司会進行で始まった。
江戸東京野菜ミニ講座と云うことで、平川さんから指名を受けた。
始めに江戸東京野菜と、市販の野菜の違いについて説明。
今回収穫していただく、金町コカブ、品川カブ、亀戸大根、青茎三河島菜、シントリ菜、そして練馬大根を事前に収穫しておいて、皆さんに見せながら紹介した。
続いて園主の渡戸秀行さんが挨拶の後、収穫の仕方などを説明した。
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滝野川大長ニンジンだが、成長途中であったが、抜くのには一苦労で、脇をスコップで掘ってからの収穫となった。
「滝野川大長ニンジン」は、豊島郡滝野川村(現在の北区 滝野川)付近で栽培されたため、 滝野川ニンジンと呼ばれるようになった。 根が長い品種で、長さは1メートルにも及 び、淡紅色で、香りが強く、肉質がしまっ ている。
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「三河島菜」は、江戸では漬菜として人気があったが、産地の三河島(荒川区)が関東大震災以後、農地が宅地になり栽培されなくなったが、江戸の頃、伊達藩の足軽が仙台に持ち帰り栽培されていたものを、里帰りした三河島菜として復活させた。
金町コカブは、少し大きめだったが、滝野川ニンジン、青茎三河島菜に比べて根が細いことから皆さん抜きやすかったようだ。
「金町コカブ」の、栽培の歴史には諸説があが、 一説に明治時代、農商務省の三田育種場で栽培し ていたフランス産のかぶのタネを栽培・採 種しているうちに、地元のかぶと自然交配 してできたという。
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「亀戸大根」は、文久年間(1860〜1864)の頃から昭和初期まで、亀戸香取神社周辺で栽培され、地元では「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていましたが、江戸末期に茎まで真っ白な大根が突然変異で生まれたことから、江戸市民に好まれ以後、亀戸大根は白茎となった。
品川カブの収穫。
先日、江戸の老舗「蕎麦屋」4店舗で「品川かぶそば」が12月7日〜1週間行われた。
「品川カブ」は、一見大根と思われるが、葉を見れば大根と異なり、カブの葉だ。東北地方に多い、北方系の長カブ。東海道の第一の宿場・品川の周辺で栽培され、宿場などで漬物として消費されていた。
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「シントリ菜」は白菜系の柔らかい野菜。
昭和40年代に江戸川区、葛飾区、足立区で盛んに作られた。昭和47年の日中国交が正常化する前は、チンゲン菜やターサイなどはまだ入荷していなかった。ちりめん白菜の芯の部分が中華料理に使われるようになったことからシントリ菜と呼ばれるようになった。
中々抜けずに、折ってしまう方が続出したが、
抜いた方は、自慢げにハイポーズ。
同じ畑で、梅澤冨美男さんと東野幸治さんが練馬大根に挑戦!!。
12月21日、ご覧ください!。
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「練馬大根」は、五代将軍・徳川綱吉が、将軍になる前、松平右馬頭と名乗っていた時に、病のために下練馬で養生することになり、村民のために尾張から大根のタネを取り寄せたことに始まる。
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銘々が、抜いた自慢の練馬大根を持って記念撮影。
皆さんの前に野菜の山があるが、この山がお持ち帰りの一組分
最後に、新型コロナ対策として、参加者の手にアルコールを噴霧してから、温かい「江戸東京野菜すずしろ汁」が、参加者に振舞われた。
尚、コンシェルジュ協会からは、JA東京アグリパークのイベントにも協力した上原恭子理事他、松嶋みどり理事、コンシェルジュの木村えり子さん、若林牧子さん、増田純代さんが対応した。
全国農協観光協会の平川さんから、アンケートを送っていただいた。
【参加者感想(アンケート抜粋)】
・大変な仕事だと思います。食事を大事にしたいです。
・伝統野菜作りは大変だと思います。
・農家の人の苦労がわかりました。
・貴重な経験をありがとうございました。
・練馬ダイコンの名前は聞いたことはあったが、収穫は初めてで楽しかったです。
・歴史を学びながらの収穫、良い経験になりました。
・丁寧に教えていただき楽しかった。
・すずしろ汁の大根の辛みがおいしい。自分でも作りたいと思う。
・とりたての野菜は甘く、美味しかった。
・たくさんの野菜をありがとうございます。
皆さんありがとうございました。
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