先日、所沢に行ったときに、昔は「富じゃ唐茄子、永井じゃ薩摩、日比田・亀ヶ谷 真桑瓜」と唄われていた文句を読んで、ふと思った。
日比田・亀ヶ谷で栽培されていた「真桑瓜」は、二代将軍秀忠が、武蔵國の総鎮守六所宮(大國魂神社)の近辺で栽培を始めたもので、
その後、川越藩主柳沢吉保が五代将軍綱吉から頂だいしたものではないかと、所沢市教育委員会のふるさと研究グループの担当者に、日比田・亀ヶ谷地区の小学校などで、復活栽培が出来ないものかと提案した。
府中御用ウリの「真桑瓜」は、将軍家康が、美濃の真桑瓜を江戸周辺でも栽培したいと、武蔵國の総鎮守六所宮(現在の大國魂神社)に参った時に、富士が見え、多摩川が流れるこの地で栽培しようとなり、秀忠の時代になったところで、美濃から2人の真桑瓜栽培名人を呼び寄せて栽培させている。
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教育委員会の反応が弱いので、どなたかいないものかと考えていたが、元埼玉新聞の記者だったジャーナリストの中西博之さんを思い出して、電話をした。
中西さんとは10年来の友人で、昔、埼玉を案内していただいた。
中西さんも、地元埼玉の話なので、興味を持ってくれた。
中西さんは、経営実務に連載記事を持っていて、2017年8月号の
連載ルポ「瑞穂国、農と食をゆく第72回」は、沖縄にまで取材に
行っていて「琉球への甘藷伝来」を書いている。
予約が始まった「サツマイモ大図鑑」の「中国から沖縄に」では、
野國總管や儀間真常などについても掲載してある。