2020年12月29日

柏木小学校の屋上菜園のサツマイモ栽培と、東京でも栽培されていた伝統野菜「東京金時」。


新宿区立柏木小学校の竹村郷校長が同校の屋上で
野菜栽培を始めたことは、紹介した。

これまで、竹村校長は、
港区立青山小学校、そして前任校の新宿区立落合第六小学校でも
屋上に土を運び上げて野菜栽培をされてきた。




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柏木小学校では竹村校長がこれまでの経験を生かして袋栽培に移行。

その中でも、東側の屋上にはサツマイモの栽培も行っていて、
スイカや、鳴子ウリ、カボチャと供に、
屋上の周りにサツマイモの袋か置かれていた。

上の画像をタツプする
サツマイモは、葉の柄の付け根から出る長い不定根が
イモになるため、不定根を受け入れる袋も必要だった。
今年は、種芋の袋の中に小さな芋が出来たと聞いている。


あかね書房の「サツマイモ大図鑑」に係わるようになってから、
当ブログでもサツマイモについて紹介してきた。

サツマイモが中国から琉球に伝わったことは、
友人の中西博之さんが雑誌に掲載していた。

江戸では、青木昆陽がサツマイモの試作を行っていた。
小石川は起伏にとんだところだったが、
養生所と試作地は平坦にならされていた。

川越の吉田弥右衛門は千葉へ種芋の買い付けに息子を行かせたが、
永井で栽培し、普及したことで、江戸では焼芋ブームが起こり、

地元では昆陽と同等の「甘藷乃神」として祀られている。

また、袋栽培の事例も掲載されている。





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江戸東京野菜のサツマイは、まだ新島の「あめりか芋」だけだが、
青木昆陽は、試作をした以降、昆陽の記録は豊多摩郡や北多摩郡に、
幾つかの記録があり、享保20年(1735)には、新島に種芋を送っている。

川越に隣接する西多摩の瑞穂の村々では、江戸時代から、
川越金時の「紅赤」を種芋として仕入れて栽培していた。

東京におけるサツマイモの適地は区内西部から、北多摩郡の北部の、
砂川(立川市)、清瀬、東大和、武蔵村山、東村山、東久留米、小平、
田無、西多摩郡の瑞穂で、享保19年以降、昭和20年代の
食料増産時代まで各地で作られたが、
以後急激な都市化によって減少していった。

上の画像をタップする
東京の伝統野菜が掲載されている「江戸・東京ゆかりの野菜と花」
には、おいしく、色・形のよい「東京金時」が掲載されている。

主産地では「東村山市の櫻井喜三はこれを埼玉県入間郡三芳町から入手して、消費者が好むようなやや長めの紡錘形のものを選び出して育てた。味・色・形と三拍子そろっていたので市場で高く評価され、
東京金時として有名になった。」とある。

「東京金時」も江戸東京野菜の候補のひとつで、探している。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さつまいも
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