2020年12月31日

渋谷川の源泉「清正の井戸」は、明治神宮御苑内の花菖蒲田、南池からを流れ下った。


新嘗祭に、明治神宮の回廊に展示された宝船を見に来たことがあった。

当ブログでは、東京の水源を何ヶ所か歩いているが、明治神宮御苑には水源の「清正の井戸」があるのを知っていた。

明治神宮では、お正月の新年互例会を始め、11月の東京都農業祭や、宝船の展示などをしていたから、毎年何度も仕事で来ていたが、御苑となると若いときに来て以来だ。

この御苑は御祭神の、明治天皇・昭憲皇太后にゆかりの深い由緒のある名苑で、江戸時代(1603〜1867年)の初めは熊本藩主加藤家の下屋敷の庭園だった。

その後、彦根藩主井伊家にうつり、三代将軍徳川家光も訪れていると云う。
明治維新(1868年)後は、皇室の御料地となり代々木御苑と称せられました。




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「清正の井戸」は古くから江戸名井の一つに挙げられていて、江戸初期には加藤家の庭園だったことから加藤清正が掘ったと言い伝えられている。

湧き出る清水は、井戸水特有の冬温かく、夏冷たく、年間を通して15虔前後で、最近まで茶の湯に使われていました。

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周囲の斜面には、モミジ、ヤマブキ、サツキ、ハギが植えられ、小径は林や田に沿って巡らされ、清水は花菖蒲田(写真右下)を潤し、南池に・・・、

江戸時代は家臣の子女が米作りの大切さや苦労を学ぶ稲田だったが、明治26年(1893)に明治天皇が昭憲皇太后のために菖蒲園に改められた。






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隔雲亭から見下ろす大池は南池(広さ8300ml)と称される自然の古池で井伊家時代から「お泉水」と云われていた。                        
清正の井から花菖蒲田を潤した清水を漫々と湛え、周りの樹影を映しだし、夏にはスイレンやコウホネが花を咲かせます。





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小径を歩いていたら、手を伸ばすと届くような足元に見慣れない小鳥が飛んできた。
逃げようともせずに、しばし足元にまつわりつくよう。

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鳥の図鑑で調べると「アオジ」とあった。
「ホオジロ大で,上面は暗緑色,下面は緑黄色。本州では中部以北の山地帯で繁殖し,繁殖期には、♂は高い枝に止まって澄んだ美しい声でなく。

冬季は群となって積雪のない暖かい地に漂行してくる。山ろく,村里付近の低木林や市内の庭先などにもごく普通に見られる鳥である。」とある。






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神橋の上からは、樹々の間から南池が望める。

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南池で淀んだ後、池の水門から流れくだり、南参道に架かる神橋をくぐりぬけ、JR原宿駅の下から、渋谷川の源流となって、渋谷の水田地帯を潤していたが、現在は一部暗渠となって、白金、麻布、芝公園では首都高速道路が川を覆い、流れは東京湾へ。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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