江戸東京・伝統野菜研究会の大浦美鈴さんはフリーマガジン「言問散歩」の編集長をしている、同誌は四季号で、昨年の8月末に秋号Vol 1が発行されている。
Vol 6 冬号はいただいていたが、19ページに、「言問通り界隈は実は七福神めぐりの宝庫」とあり「谷中七福神めぐり」、「浅草七福神めぐり」そして「下谷七福神めぐり」で、編集部のオススメは、同誌の配布地域の「下谷七福神めぐり」とある。
西武鉄道が実施しているウォーキング&ハイキングは、前回は神田川を歩いている。
今回は、江戸時代から約250年続く、東京でもっとも歴史がある七福神めぐりが、”谷中七福神めぐり” だという。
250年前と云うと、十代将軍家治の時代だ。
大浦さんは編集長として編集後記を書かれているが、Vol 6発行の思いが伝わってきたので、言問通り界隈を通過する「谷中七福神めぐり」を案内してもらった。
スタートのダイヤゲート池袋2階で地図を貰って、
山の手線で田端に向かい、福禄寿の東覚寺に向けてスタートした。
上の画像をタップする
1、福禄寿の東覚寺、2、恵比寿の青雲寺、3、布袋尊の修性院、
4、毘沙門天の天王寺へと向かう。
田端駅は、三河島菜を栽培指導をしている尾久宮前小学校に
行くときに下車する駅だが、改札を出てから逆の左、北口を出た。
坂道を登って下った薬局を曲がったところに東覚寺(北区)はあった。
上の画像をタップする
中国の道教が起源の神で、長寿の福の神様。
東覚寺からは、途中裏道に入った、しばらく行ったところで、
西日暮里4丁目(荒川区)、一度来たことがある風景、青雲寺についた。
上の画像をタップする
恵比寿様は釣竿に大きな鯛を抱えていて、
五穀豊穣・大漁祈願・商売繁盛と、仕事にご利益がある、
恵比寿様は、福の神、裏山が道灌山になる。
壁に布袋さまと子供たちの絵が描かれていてた。布袋様は福の神。
日ぐらしの布袋といわれている。
上の画像をタップする
修性院の手前で、前に来たのを思い出した。
第一日暮里小学校で、創立135周年の看板が修性院の裏に見える。
伊藤英夫校長が、三河島菜の栽培をされていた。
現在は第三峡田小学校に変わられたが。
諏訪台通り側の校門を出ると、「谷中ショウガ」の農業説明板がある。
修性院からは日暮里駅方面に向かう。
線路沿いを歩いて、紅葉坂を上ると、天王寺毘沙門天(台東区)の
支柱が目に付いた。
上の画像をタップする
福の神であり、甲冑で身を固めた戦の神で、毘沙門天のご利益は
武運以外にも金運、商売繫盛の信仰を集めている。
残りは3か所、5、寿老人の長安寺、6、大黒天の護国院、
7、弁財天の不忍池弁天堂
谷中の霊園の中を通って、長安寺に、
上の画像をタップする
福禄寿と同じ、中国の道教が起源の神で、長寿の福の神様。
このコースの一本東の諏訪台通りを歩いたことがある。
馬の背のような諏訪台から、富士見坂、
そして天王寺の五重塔跡と石黒氏之墓の前を通った。
石黒忠篤先生は、元農水大臣で戦後の食糧難の時代に
世田谷の篤農家・大平信彌氏と共に、食糧増産運動を展開している。
喫茶店「カバヤ」で小休止。同店は「言問散歩」のメンバー店だ。
言問というと言問い団子を思い出す。
上の画像をタップする
団子はなかったが
谷中だけに、温かいジンジャーエールと、同店のプリンを注文。
ジンジャーには、ショウガのスライスが底に2枚、体が温まった。
大浦さんに、言問散歩の七福神めぐりについて、話してもらった。
「言問通り界隈は実は七福神めぐりの宝庫」はここに。
東京芸大の角を曲がって、護国院に。靴を脱いでお参りをしたが、
大黒様の近くまで行って打出の小槌と、袋を担いだ大黒様にお参り。
上の画像をタップする
大黒様は、五穀豊穣、大漁祈願から転じて
財産や商売繁盛、出世開運の福の神
護国院から、東叡山寛永寺の清水観音堂から、不忍池弁天堂を望む。
上の画像をタップする
七福神の中で、唯一の女性の仏様、 弁財天のご利益は、
金運・縁結び・芸術のご利益で知られる神様。
琵琶を抱えた弁財天・弁天様
福禄寿、恵比寿、布袋尊、毘沙門天、寿老神、大黒天、弁財天、
と、北区、荒川区、台東区と三区にまたがった「七福神」は6キロ
休憩を入れて2時間半だった。
追伸
大竹道茂のFaceBookはここからご覧ください。