2021年01月14日

歌川廣重の名所江戸百景「月の松」を復元させた寛永寺の清水堂で確認した。


先日、台東区に詳しい、大浦美鈴さんに案内してもらった「谷中七福神めぐり」の最後、不忍池にある弁天堂に行く前に、清水堂に寄って、月の松から弁天堂を眺めている。


歌川廣重は「名所江戸百景 上野山内月のまつ」と、「名所江戸百景 上野清水堂不忍池」に描いている月の松は、明治の初め、台風の被害にあって、その後、伐採されてしまったようだ。

何年か前に、月の松が復活したという話は聞いていたか、上野には、鴎外荘に何度も伺ったし、最近では昨年の6月には、国立科学博物館のイベントにも来ている。

しかし、その時は思い出しもしないから、探してもみなかった。






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寛永寺は江戸城の鬼門として、京都の比叡山を模して東叡山として寛永寺を祀った。
不忍池は、比叡山に対する琵琶湖に模していた。

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寛永寺には、京都の清水寺の舞台造りを模した、清水堂があり、千手観世音菩薩を祀ってある。

廣重の描く、「名所江戸百景 上野山内月のまつ」には、不自然な松に見えるが、当時は珍しいということで、廣重の絵を見て寛永寺に足を運んだ江戸市民も多かったようだ。






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廣重の絵にある「月の松」を復元させようと寛永寺では、都内の造園業者に依頼して、3年がかりで数本の松を丸く仕立て、2012年150年ぶりに復元されたという。

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廣重の「名所江戸百景 上野清水堂不忍池」を見ると、初代の「月の松」は、不忍池の河畔に植えられていた。
通行人からして、年数を重ねた松に見えるから、とりあえずは「上野山内月のまつ」はできた。

湖畔に移植するまでには100年はかかるのではないかと思われる。

予備の1本も境内のどこかに植わっていると伺った。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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