緊急事態宣言が発令されたことでステイホームが続いている。
今月の24日に江東区の図書館でお話をすることになっていたが、中止になってしまった。
江東区の皆さんは、江戸東京について興味を持っている方が多く、
2014年には、中川船番所に伺ったし、2015年には深川江戸資料館の解説ボランティアのみなさんにお話ししている。
最近では2019年2月に江東区総合区民センターで実施したが、今回もこの時期だから、練馬大根、千住ネギ、江戸城濠大根、それと亀戸大根も持っていこうと思っていた。
江東区のことも、いろいろと話すが、土地のことも調べ始めていた。
江戸から大政奉還によって、明治になったが、東京市は明治11年に施行された郡区町村編制法により、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区、と15区が制定された。
当時は、大名屋敷等が空き屋敷となったことから、牛の搾乳を行う牧場がたくさんでき、
15区のすべての区に牧場ができていた。
現在の江東区は、昭和22年に深川区と南葛飾郡の一部・城東区が合併して生まれている。
東京市は15区からなっていたが、その東側は、南足立郡と、南葛飾郡からなっていて、
南葛飾郡は広かったが、その多くは江戸川区と葛飾区になった。
南葛飾郡には昭和7年、市郡合併により、南部の小松川町、小岩町、松江町、瑞江村、鹿本村、葛西村、篠崎村が合併して江戸川区が誕生。
昭和23年に、農業会の財産を引き継ぎ、江戸川農協と、新興江戸川農協が誕生したが、昭和30年に江戸川区農協となった。区の7割が農耕地で2210ヘクタールもあった。
また、南葛飾郡北部の水元村・金町村・新宿町・奥戸村・亀青村・南綾瀬村・立石村が合併して葛飾区となり、昭和23年に農業会の財産を引き継ぎ、葛飾農協が誕生したが、水田650ヘクタール、畑460ヘクタールだった。同郡のそれ以外の荒川を渡った西部地域は、江東区、墨田区となった。
南葛飾郡の一部、砂町、大島町、亀戸町が合併して、昭和7年に城東区が生まれ、昭和22年に、深川区と合併して、江東区となった。
昭和23年当時、砂町には農地が残っていたことから、近隣の江戸川区農業協同組合の組合地域に砂町も入っている。
南葛飾郡の一部、昭和7年に寺島町、隅田町、吾妻町が合併して向島区を設置
昭和22年に、本所区と向島区が合併して、墨田区となった。
ちなみに足立区は南足立郡が昭和7年市郡合併により、千住町、西新井町、江北村、舎人村、梅島町、綾瀬村、東淵江村、花畑村、淵江村、伊興村で、足立区となった。昭和23年に農業会の財産を引き継ぎ、足立農協が誕生したが、水田1510ヘクタール、畑1.534ヘクタールだった。