2021年01月20日

昨年の秋に、善福寺池の周辺を歩いたが、農地こそ少なくなったが、遅野井湧水を湛えていた。


東京を流れる川の水源地は、「農のある景観と環境」として報告してきた。
東西に長い東京の、南北に三鷹の井の頭池、杉並の善福寺池、練馬区石神井の三宝池と、三つの池を線で結ぶと、弓を張ったように曲線になり、そこに湧水がある。

善福寺池は、かつて池のそばにあった善福寺弁財天の名をとったが、その寺はすでに廃寺になっていて、その後、善福寺4丁目の福寿院という名の寺院が1923年に地名をとって改名して善福寺となっている。

昨年の秋、善福寺には荻窪からバスで、井草八幡宮で下車して歩いてきたが、井草八幡には、農業説明版の「井荻ウド」の説明版がある。

また、明治から大正にかけては、藍染めの原料「藍」を栽培して産地になっていた。





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善福寺川の源流、遅野井湧水の碑が立っていた。

上の画像をタップする
説明板によると、鎌倉時代、源頼朝とのご縁がある湧水。







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昨年の10月に、東京都中央卸売市場淀橋市場で江戸東京野菜の話を
市場関係者にお話をしたが、東京新宿青果株式会社の初代社長、
内田秀五郎氏のこともブログに書いた。


上の画像をタップする
その、内田秀五郎の銅像が、
善福寺池・上の池の小高い所に建立されていた。






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善福寺池は上の池と下の池に分かれている。

上の画像をタツプする
善福寺池の周辺は、
農地こそ少なくなったが、遅野井湧水を湛えていた。







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下の池は、上の池から流れ込んでいるだけではなく

上の画像をタップする
湧いているところがあった。
善福寺川は買って遅野井川と呼ばれていた







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上の池に比べて下の池は自然が豊かだった。

上の画像をタップする
下の池から善福寺川として流れ出しているが、善福寺川は下流域で、
井の頭池を水源とする神田川に合流している。


追伸
Facebookに掲載したら、
料理研究家の冬木れい先生が書き込んでくれた。

石神井公園、善福寺公園、井の頭恩賜公園と、移り住んできました。奇しくも、湧水を求めて住いしてきたことになります。
そして、今は、水にひかれて深大寺(笑)です」


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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