報告してきた。
東西に長い東京の、南北に三鷹の井の頭池、杉並の善福寺池、
練馬区石神井の三宝池と、三つの池を線で結ぶと、
弓を張ったように曲線になり、そこに湧水がある。
善福寺池は、かつて池のそばにあった善福寺弁財天の名をとったが、
その寺はすでに廃寺になっていて、その後、善福寺4丁目の
福寿院という名の寺院が1923年に地名をとって
改名して善福寺となっている。
昨年の秋、善福寺には荻窪からバスで、井草八幡宮で下車して
歩いてきたが、井草八幡には、農業説明板の「井荻ウド」がある。
また、明治から大正にかけては、
藍染めの原料「藍」を栽培して産地になっていた。
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説明板によると、鎌倉時代、源頼朝とのご縁がある湧水。
市場関係者にお話をしたが、東京新宿青果株式会社の初代社長、
内田秀五郎氏のこともブログに書いた。
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その、内田秀五郎の銅像が、
善福寺池・上の池の小高い所に建立されていた。
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善福寺池の周辺は、
農地こそ少なくなったが、遅野井湧水を湛えていた。
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下の池から善福寺川として美濃山橋の下に流れ出しているが、
ここに千川上水の水も流れ込んでいる。
この先、善福寺川は下流域で、井の頭池を水源とする神田川に
合流している。
追伸
Facebookに掲載したら、
料理研究家の冬木れい先生が書き込んでくれた。
「石神井公園、善福寺公園、井の頭恩賜公園と、移り住んできました。奇しくも、湧水を求めて住いしてきたことになります。
そして、今は、水にひかれて深大寺(笑)です」。