練馬の大泉で江戸東京野菜を栽培している渡邉和嘉さんが、地元の中里富士に案内してくれた。
各地にある富士塚を見つけると、必ず登っている。
江古田浅間神社の富士塚(標高8m)、駒込富士神社の富士塚(標高6m)、
成子天神社の富士塚(標高12m)、品川神社の富士塚(標高15m)
早稲田ミョウガを探していた時に登った水稲荷神社の高田富士(標高10m)
江東区の砂町富士にも行っている。
富士浅間神社の鳥居から見上げると、富士塚がそそり立っていて、驚いた。
富士山を信仰する富士講が築造する富士塚は、富士山の溶岩を持ってきて積み上げている。
今日、富士山の溶岩を持ってくることはできないが、昔は大変な思いをして持ってきたようだ。
八坂神社の右隣りに富士塚は築造されている。
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明治初期に講中によって、築造されたといわれているが、文政五年(1822)の石碑があることから、江戸時代すでにその原型があったと思われるという。
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富士塚の周りには、早咲きの桜や、椿が咲いていたが、
山道ののり面にはボケの花が咲いていた。
5月のつつじの頃になると、
山麓に植えられているつつじの花が美しいだろう。
登ってきた基部から、約12mのたかさとなっている。
これまで登った富士塚の中では、品川神社の15mに次ぐ高さだ。
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下を見ると急こう配の先に鳥居。
顔を上げると、正面にカタクリの群生地のある「清水山の森」が見え、練馬清掃工場の煙突も見える。
左後ろには成増のビル群が見える。
都心の富士塚の頂上に立つと、周りはビルが建ったために囲まれて、見降ろされている。
品川神社ですら、海は見えない。
この辺りは、風の丘と呼ばれているが、近くで農業体験農園を経営する白石好孝さんの「大泉 風のがっこう」は、ここから来たんだと認識した。