2021年03月24日

練馬区東大泉から10キロ、埼玉県の和光市の境を北に流れて、新河岸川に注ぐ白子川の源泉を訪ねた。


先日、カタクリが咲く「清水山の森」を紹介したが、森の北側を流れる白子川は、練馬の大泉地域を流れて、和光市の白子地区に入ったり、東京都に入ったりしながら10キロ、最後は板橋区三園の落合橋で新河岸川に注いで、隅田川を流れ下る。




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白子川の、源泉に行ってみた。
渡邉和嘉副代表の実家が近く、東大泉7丁目の練馬区立井頭の森公園は、渡邉家の雑木林だったとか。

そこから西に行くと源泉の井頭溜があり、西側の練馬区立大泉井頭公園と、東側の練馬区立井頭泉緑地に囲まれている。

上の画像をタップする。
白子川源流 水辺の会」が定例の活動をしている。

「大泉農業協同組合史」に掲載されていた白子川命名のいわれ。
東京府北豊島郡大泉村の名の起こりは、白子川(現在)の源泉「井頭溜(いがしらため)」から名付けられたもので、それ以前、東京府の上土支田村と、埼玉県の小榑(こぐれ)村と橋戸村が、明治24年に合併し大泉村となった。それ以前から、白子川(現在)は、各村々の境を流れていたために「境川」と呼ばれていたという。






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井頭泉緑地側には、農地が広がっていて、農地に振った雨水が地下水となって湧いている。

上の画像をタップする

井頭溜の上流部は保谷方面の雨水が流入するようになっていた。
渡邉さんの話では、昭和30年代から保谷、南大泉地区の宅地化が進むと、生活雑排水が流れ込み、昭和50年代には、白子川はどぶ川になってしまった。

白子川のいわれ
しかし、合併したことから、境川ではふさわしくないから改名してもよいと、大泉村村長に郡役所からお達しがあった。そこで村会議員が集まって議論となったが、緑が多いから緑川、村が栄えるように栄川、北豊島郡から豊川など、いろいろ案が出たがまとまらず、

数日後の会合で大泉村の名を採って「大泉川」とすることに決めて願書を作り、お昼を食べて一服してから、郡役所へ出かけたんだそうです。







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井頭橋から下流を(写真左)、樋の橋から下流を(写真右)



白子川のいわれ
 郡役所へ願書を提出すると係官が「イヤー、一足遅かったなあ。白子村から白子川にしてくれって午前中に出願があったんだよ」っていわれたので「大泉に水源地があり、川の長さも大泉のほうがズッと長いんですから、ぜひ大泉川にしてくだせえ」と云ったそうだけど……、 タッタ2時間の差で永久に「白子川」にされちゃったんだそうです。(加藤喜平氏談)

当時は、そんな決め方だったのか!!


追録
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練馬では有名な「大助うどん」、しばらくぶりに暖簾をくぐった。

上の画像をタップする
渡邉さんが「肉うどんの熱盛」を注文してくれた。

熱盛だから、最後まで汁が冷めないでおいしく頂いた。
「大助うどん」
練馬区西大泉3-27-23 03-3922-3028
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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