JA東京あおばの渡邊和嘉常務に
志村みの早生大根の故郷を案内してもらった。

国指定史跡・志村一里塚は国道17号線の両サイドにあった。
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塚の隣には、竹ぼうきやヨシズなど竹製品の老舗(有)斎藤商店の
たたずまいが、塚との一体的な景観として歴史を伝えている。
斎藤商店は明治22年創業で、
塚の前にあることから屋号は「塚元屋」とか。

志村坂上交差点から斜め左に中山道の旧道が分かれた。
国道17号線(中山道)は坂上から坂下に向かって急勾配を緩やかにするため、勾配の距離を長くとってつくったから車に乗っていてはわかりづらいが、旧道には荒川の河岸段丘が切り立った様子が今も残っている。

かつては、河岸段丘の崖下に、いくつもの湧水が湧いていたようだ。
板橋区が整備した「薬師の泉」が国道17号線の脇にあった。
上の画像をクリックすると薬師の泉の園内。
渡辺常務が指差す説明板に、志村みの早生大根のルーツが記されていた。
境内山の腰より 清泉沸出す
故に清水の号あり
この辺 夏蘿葡を名産とす
清水種として
世に賞しはべり」
その後、百姓巳之吉が選抜淘汰し、早生種、暑さに強い夏大根として、志村みの早生大根が生まれたもよう。
その名には、生まれた場所、作り出した人、品種特性が表してある。
