ことを紹介したが、
それ以外にも、写真を整理していたら、
道灌の銅像や、記念碑のようなものが出てきた。
道灌は、埼玉に城を幾つも持っていたり、
神奈川の伊勢原で殺されたこと等、周辺県にも記念碑や銅像がある。
何年か前に、西日暮里駅で降りて西日暮里公園に登ったら、
そこは廣重が描いた道灌山だったことが記された説明板がある。
西日暮里公園は、青雲寺境内の一部だったが、明治七年(1874)、
この辺一帯が旧加賀藩前田家に売却し、墓地となった。
昭和47年(1972)、前田家は墓地を国許の金沢に改葬したため、
翌48年12月に跡地は、荒川区立西日暮里公園となった。
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かつてこの地はひぐらしの里いわれ、
江戸時代中期には市民の憩いの場所であった。
しかし、今や道潅山の下をJRが走り西日暮里駅ホームの屋根が見え、
その先はビルが林立して、筑波山は遮られている。
そして遠く筑波山が見える。
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道灌山のいわれが記されている。
山には薬草が豊富で、多くの採集者が訪れたという。
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道灌山は太田道灌の出城の跡だったことから、鈴虫、馬追ひ虫、
轡虫(くつわむし)等が、うるさいくらいに鳴いていた。
虫籠を持ってきて、草むらの虫と競わせだ。尾形月耕の絵がある。
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道灌山には道灌船繋松は台地に高くそびえていたが、
安永元年(1772)の秋台風で一本が折れ、残り一本になってしまい、
この松を懐かしんで「日暮里船繋松の碑」を道灌山に建てたが、
現在は青雲寺境内に設置されている。
御腰掛所と六地蔵の文字あり、
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御腰掛所は「三代将軍腰掛石」とあり、
家光が腰を掛けたという石がある。
荒川区教育委員会の説明には、
八代将軍吉宗が鷹狩の時の御善所となったとあるが、
御善所では三河島菜が出されたと聞く。
「将軍腰かけの石」がある、文章の流れからして三代将軍とは
書いてないから、説明不足で吉宗が腰かけたと勘違いしやすい。