2021年07月10日

檜原村にルバーブが定着するまでの物語


先日、檜原村にルバーブが導入されたことを書いたが、改めて東京におけるルバーブの導入の経過をまとめておこうと、関係者の話を聞いた。

ルバーブが日本に入ったのは、長野県軽井沢の外国人避暑地に宣教師ショーがジャムを持ち込んだと、旧軽の中山ジャムの女将が話していた。

檜原村には長野から導入したようだと話していた鈴木留次郎さんに、改めて20年前に導入した山嵜源重さん(現村議会議長)に聞いてもらった。

導入したのは、長野県ではなく神奈川県からだったという。
山嵜さんは鎌倉の建長寺に行った際、大根料理の店で食事をしたが、女将の佐藤さんからルバーブの話を聞き、興味を持ったようだ。

鈴木さんの話を聞いて驚いた。もしかして大根料理の店は福来鳥で、女将の佐藤さんはエダさんではと思い佐藤エダさんに電話をした。

当時、福来鳥の佐藤さんは、鎌倉大根の件で相談していた県農業総合研究所の成松次郎先生がルバーブの研究をしていて、ルバーブの栽培も勧められていたことから、山嵜さんにルバーブを紹介したという。話は繋がった。






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後日、成松先生から頂いた10株の苗は伝統的品種の「ビクトリア」で、2000年に佐藤さんは山嵜さんに送ったという。

女将の佐藤エダさんばかりか、神奈川県の成松先生の名前も出てきた。
お二人のことは良く存じ上げていたが、檜原村のルバーブの導入に係わっていたとは知らなかった。

お二人に事の経過を確認したが、20年前のことで、うる覚えだったが、大筋ではこのような事だった。
その後、佐藤さんは何度か檜原村の栽培地を訪れたという。

上の画像をタップする。

ルバーブ研究の第一人者だった成松先生は、1990年「農業および園芸」(養賢堂)に論文を掲載していて、論文「ルバーブの特性と軟化栽培」を送って頂いた。

論文には、ウド栽培と同じ軟化栽培により、冬から春にかけて生産可能になり、色調も赤く高品質のルバーブが収穫できると、栽培方法が詳細に書かれている。





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成松先生がルバーブの研究をされるきっかけになったのが、長野県信濃村で宣教師をしていた太田愛人(エツセエスト)が著書『辺境の食卓』(1976年)の中でルバーブを紹介していたのを読んだことからと聞いている。

神奈川県では、中山間地域の山北、津久井などに導入、清川村には定着した。
檜原村と同じ中山間地域ということもあり、山嵜さんは導入を思い立った模様。

上の画像をタップする

先日、檜原村のルバーブの記事が、日本農業新聞に掲載されていたが、JA秋川のHPにも掲載されていた。






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檜原村には、「檜原村ルバーブ生産者組合」ができ、

上の画像をタップする
鈴木さんも野村誠さんと同じで、10年前に普及をしていた
山崎俊彦さんに勧められて始めたもので
鈴木さんは20株程度から始め、株分けしながら増やしてきたという。



追録
檜原村観光協会でも鈴木さんを紹介している。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 檜原村とあきる野市の農業
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