先日、新聞に大沢の箕輪宗一郎さんのわさびの記事が、朝日新聞夕刊のトップに出ていたが、読んだ!、と田辺一郎さんに聞かれたがなんのことだか、怪訝な顔をしていたら、新聞を持ってきてくれ、新聞を読むまでもなく、記事の内容を話してくれた。
三鷹市大沢の箕輪さんのお宅では、昔から屋敷内の国分寺崖線から湧き出る水を使って、わさび栽培をしてきて、神田市場にも出荷していたとは、私も聞いていたが、まだ栽培していたとは田辺さんも知らなかったようだ。
国分寺崖線は、国分寺市の日立製作所中央研究所の周辺から湧き出す湧水を集めて野川となり、三鷹市大沢から深大寺境内、さらに都立農業高校神代農場から、二子玉川で多摩川に合流している。
ワサビ田の話を聞いて、東八道路を通っての帰り道、箕輪さんが市に寄贈した古民家に寄ってみた。
「三鷹市大沢の里古民家」の周辺の遊歩道が作られて整備されていた。
大沢のワサビは、昭和50年代に見に来たことがあったから、様子はわかっていた。
崖は鬱蒼とした落葉樹でおおわれていたが、崖の上は農地はあるものの住宅地と東八道路となっている。
崖線の湧水池は、木々に覆われ、古民家の屋敷地として入れないようになってた。
防犯カメラ作動中とあったが、昔を思い出すと、大沢のワサビを栽培しているところのようだ。
井上恵一朗記者によると、ここで栽培されているワサビがDNA鑑定で、江戸後期に伊勢から持ち込まれた希少な在来種だったことが分かったという。
言い伝えによると、文政年間(1818-1831)に箕輪政右衛門(伊勢出身)が、三鷹の大沢に移り住み、当時江戸では握りずしブームだったことから、伊勢の五十鈴川産ワサビを持ち込んでワサビ栽培を始めたという。
神田市場では味がいいということで、評判だったと聞いている。
三鷹市では2018年に古民家を一般公開するにあたり、江戸東京野菜に加えるべく、ワサビ田の復活と、三鷹大沢ワサビの普及に取り掛かる中で、栽培植物起源学が専門の岐阜大学の山根京子准教授にDNA鑑定を依頼したという。これによって貴重な在来種で、しかも日本の固有種だったことが分かったという。
山根准教授の研究では、五十鈴川のワサビは、岐阜県西南部のワサビが伊勢神宮に献上されたもので、岐阜〜伊勢〜三鷹市大沢へのルートだと推定している。
大沢のワサビ田から野川を下って2.3キロの地にある都立農業高校神代農場では、ワサビ(伊豆ダルマ種)を栽培しているが、
現在、三鷹大沢のワサビ22株を、同農場で分散栽培が行われているという。
この横穴墓は、古代(7世紀頃)のもので常時公開している。
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古民家の屋敷地の脇から崖を上るようになっていて、「出山横穴墓群8号墓」(東京都指定史跡)には人骨が見えるようになっていた。
出山横穴墓群を含む周囲一帯には旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡があり、出山横穴墓群8号墓の隣からは縄文時代の住居跡が発掘されている。
まだ一部、畑が残っているから、清水が湧いているが、
住宅地も迫っていて、水量も少なくなっているようだ。
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孟宗竹の説明板がたっていたが、分かりやすい説明がされていた。
孟宗竹の筍は、江戸東京野菜になる。