オリンピツクが終わり、パラリンピックが始まっているが、各選手が大活躍で、メダルラッシュが続いている。
戦いの神様として、亀戸大根の記念碑のある、亀戸香取神社には、選手や選手の応援者などが祈願に来ているが、港区白金台の清正公(せいしょうこう)覚林寺(日蓮宗)は加藤清正を祀る、勝負祈願の寺として、民衆の信仰を集めている。
麻布十番から歩こうと思ったが、熱中症になりそうだったので、都営三田線の白金高輪で下車して歩いた。
高輪警察署清正公前交番で、若いお巡りさんが居たので「せいしょうこうは何処ですか!、」と聞いたら、着任したばかりなのか、先輩に聞いていて、先輩が「横断歩道を渡ったとこです」と教えてくれた。
子どもの頃は、目黒方面から来たことはあったが、高層ビルなども建っていて様子がすっかり変わっていたのでわからなくなっていた。
清正公は加藤清正を祀るお寺。
加藤清正は、刀鍛冶の子として生まれた。母親が羽柴秀吉の生母大政所と遠縁にあたることから、秀吉の小姓として仕えた。
その後、秀吉に従って武功を上げ、秀吉亡き後は、家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に加担して、活躍して、家康に認められ熊本藩主になっている。
熊本には、伝統野菜の "ひご野菜" があって、熊本農政局が主催したフォーラムに招かれたことを思い出した。
清正公堂の扁額に書かれた「破魔軍」の書は、有栖川宮熾仁親王の書。
清正公堂と山門は、港区指定有形文化財になっている。
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清正は慶長16年(1611に亡くなったが、寛永8年(1631)没後20年、神として祀られる。
最正山覚林寺と号し、可観院日延上人によって開創された。日延上人は朝鮮王族で、文禄・慶長の役で、清正によって日本に連れてこられている。
清正公大祭の5月4日、5日は、菖蒲の葉をさした御勝守が授与される。
境内には毘沙門堂があり、山手七福神になっている。
加藤清正の家紋「蛇の目」と「桔梗」。
練馬区の農家には加藤姓のお宅が結構あるが、中でも蛇の目の家紋もある。加藤と云うと藤の紋が多いが、蛇の目だ。
現役時代に、練馬の農家で上司の加藤源蔵氏に伺った話だが、韓国の農業団体との現地交流で、加藤の苗字と、蛇の目の紋から、「朝鮮征伐に来た悪人加藤清正の子孫か」と疑われたと話していた。