2021年11月01日

小学校以来、10月28日の目黒不動「薩摩芋の収穫祭」に行ってみた。


10月28日は、目黒不動の「薩摩芋の収穫祭」だから行こうと思って
いた
が、丁度、雨で順延になった北千住にある小学校での授業
28日に行われた。

目黒と千住では、東京都の南と北の方角違いだったが、
「北千住駅」から「大手町駅」乗り換えで「不動前駅」まで
1回の乗り換えで着くことが分かった。





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目黒区下目黒3丁目に住んでいた頃は、お不動産の裏門から入って
いたので、目蒲線不動前駅で下車したのは初めてだったが、
お不動産の近くまで来ると、賑やかな商店街を形成していた。

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白井権八と遊女小柴の比翼塚が通り際にある。
白井権八は本名平井権八で、鳥取藩の武士で、遊女小柴に迷い、
辻斬りをして処刑されている。






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〜甘藷先生 青木昆陽〜 「薩摩芋 秋収穫祭」の横断幕。
お江戸日本橋「東京べつたら漬」東京名産 の幟旗。や
「七色唐辛子」の店も出ていた。

28日は、目黒不動尊(龍泉寺)の縁日で、目黒に住んでいた小学生の
頃は、まだ、テレビがなかったから、縁日などは楽しみにしていた。







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目黒不動の「水かけ不動明王」に願掛けをしていた。

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特に目黒不動は、三代将軍家光の時代、目黒不動・目白不動・
目赤不動・目青不動・目黄不動の江戸五色不動として、
江戸近郊随一の日帰り行楽地として大いに賑わっていた。

江戸中期の儒学者青木昆陽は、享保の大飢饉が起こった時に、
サツマイモ栽培の必要性と栽培方法をまとめた「蕃諸考」を
吉宗に提出して1734年から各地で試験栽培をするようになる。

目黒不動で「甘藷祭り」開催されている事から、
目黒で青木昆陽が栽培指導したと、誤解をしている方もいるが、
試作したのは現在の小石川植物園で・・・

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焼き芋でも買おうと思っていたが、時代は変わっていた。
見かけなかった。
本殿の下のところで、浅草「舟和」の芋羊羹を売っていたので
食べながら歩いたが、食べきれず4分の3は自宅に持ち帰った。

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骨董屋なども店を出していた。







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昆陽は目黒に住んでいた。
檀家だったのだろう、それで龍泉寺にお墓があることから、
甘藷先生のお祭が行われている。

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JR目黒駅に向かって歩いていたら、区立大鳥中学校の前のお宅に、
極楽鳥花(ストレチア・レギネ)が咲いていた、
八丈島ならわかるが、目黒で露地栽培ができるとは知らなかった。
posted by 大竹道茂 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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