2021年11月14日

昭和の森ゴルフ場がなくなるというニュースが耳に入ったが、それは寂しい。


昭島に移り住んで36年になる。
それまでは、田無のマンションに住んでいて8階のリビングからは、
よみうりランドの観覧車が眺められたが、子どもが大きくなった
ことから、1985年に処分して昭島に移り住んだ。

当時から思うと、昭島市はずいぶん変わった。
1984年に昭島駅の北側に商業施設のモリタウンがオープンした。

15年ほどたった1998年11月に、昭和の森のゴルフ場のコースに
囲まれた森の中に、都市型リゾートホテルとして
フォレストイン昭和館がオープンしたが、早23年が経過した。





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先日、ホテルのレストランで食事をしたが、ホテルの前を歩いて
昭島駅まで行って通勤していたので、たまに寄ることがある。
ホテルに併設された車屋ではイベントも実施した







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フォレストを冠したホテルには森の中にチャペルがあって、
結婚式が人気があるが、彫刻展もやっていた。

近くには、モリパーク、アウトドアビィレッジもできた。







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昭和飛行機工業の土地だったが、戦後米軍に接収されていた時代に、木々が生い茂って今や象徴となって、
"昭和の森" "フォレストイン" に "モリタウン" のネーミング。

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格納庫が現在そのまま昭和の森テニススクールになっている。

特に、昭島駅の北側は、戦前の格納庫が3棟並んでいて、
その中にコートが3面設置されているが、戦前この格納庫では
ダグラスDC-3が製造されたが、戦争では零式輸送機と名乗っていた。

ダクラスDC-3は、学生時代の1963年に沖縄で搭乗している。

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現在の、ゴルフ場のOUTコースの真ん中が滑走路になっていた。
(空港探索・2より)







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滑走路は玉川上水の手前で止まっていたが、拡張予定地まで
滑走路を伸ばすため、玉川上水に蓋をして暗渠になった。

当時は無かった西武拝島線の辺りまで伸ばす拡張予定地の
西武立川の駅前は10年前まで、原っぱだった。
それは1987年8月に"みちしげ"でエッセー「干草の匂い」を書いている。

村田農園の芋畑も、我が家もわずかに予定地からは外れていた。

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現在は暗渠の横に大きな桜の木が枝を広げている。







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1968年6月に佐藤栄作首相がジョンソン大統領との協議で
小笠原が返還された。
翌年8月に横田基地などの駐留軍人が手引きカートで回っていた
ゴルフ場が返還された。

その後、コースはパブリツクの昭和の森ゴルフ場となった。
始めてコースに出たのが41歳で遅かったが、
義兄夫妻に昭和の森に連れて行ってもらったが、クラブハウスは、
バラックで米軍が残していった手引きカートを引っ張って回った。

その年の10月にゴルフ場の北に家を建てた。

早朝、勤めに行く前に打ちっぱなしに通っていた。
そのゴルフ場が、2022年をもって閉鎖するという
ニュースが流れた。






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森の中を一回り歩いて、ホテルの庭に戻ってきた。

ゴルフ場とホテルが一体となって昭和の森で、景観が好きだから
ゴルフをやることもなくなったが、寂しいものだ。

posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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