東京の農地は、「新鮮な農産物を都民に安定的に供給する」事は勿論の事、「災害時の避難場所」であったり、「緑ある居住環境の確保」「子供達にとっての情操教育の場」等、さまざまな機能を持っていますが、
カメラを愛する方々に、東京に残された都民共有の財産である、「農」にレンズを向けていただき、さらに、写し出された「農の風景」を通して、多くの都民の皆様に、それぞれの「農」を実感として、身近に感じてもらう機会になれば、それは「健康な都市」、農のある東京の街づくりにも役立つからだ。
このコンテストは、1985年 8月 3日、朝日新聞の東京版に連載された「農の風景・都市と緑」を、下敷きにしている。
執筆した畦倉実記者が東京の「農」を取材し、農に親しむ人々の表情をよく捕らえた。八重樫カメラマンの写真は、都民ばかりか、農業関係者すら気が付かなかった、「農」を改めて認識させてくれ、しかも、55回にもわたった連載は、東京の農家に大きな自信を与えてくれたばかりか、都民に都市農業の重要性を認識させる機会になった。
「農の風景」は、「都市にとって農地は不可欠」という自説を唱えていた東京農業大学の進士五十八教授(当時助教授)の話に感銘を受けていて、54回と最終回は、進士助教授、深谷和子(東京学芸大助教授)、加藤源蔵会長(都農協中央会)で「農地はもっと身近な半自然」の座談会で閉めている。
連載終了後、朝日新聞では「農の風景〜都市と土と緑と〜」を1986年11月に発行したが、JA東京中央会では、この本を関係機関に配布をしている。
当時、朝日新聞のコラム天声人語には、農の風景を取り上げて「大都市が農地を失い、農の心を失った時、その都市は間違いなく、滅びの道を歩むことになるだろう」と、農地潰しの世論を戒めている。
JA東京グループでは、この精神を引き継ごうと、1987年から農の風景フォトコンテストの募集を行った。
おりしも、バブル全盛期。東京都心部の地価は高騰し、これが周辺地域に、そして三大都市圏に波及し、さらに日米経済摩擦もからみ、内需拡大策として、都市農地を潰して、住宅建設を促進すべきだとの、論議が罷り通っていた。
フォトコンテストの審査委員長には、農業をテーマにしたカメラマンでは第一人者の、英 伸三先生にお願いし、審査員には、工業社会における、農の役割に着目している東京農大の進士五十八教授、音楽家で園芸がお好きな森みどりさん、自ら畑を耕す俳優の大泉滉さん、児童心理学の学芸大・深谷和子教授と、歴代朝日新聞東京本社写真部長に、お願いした。
また、展示も毎年実施し、東京写真美術館を始め、有楽町マリヨン・朝日ギャラリー、東京芸術劇場、東京都庁展示ホール、中野サンプラザ、立川駅コンコースなど、多くの皆さんに見ていただいた。
御覧になった皆さんからは一様に、「東京にもこんな素晴らしい『農の風景』があったのね!」と、驚きの声が聞かれた。
青島幸男東京都知事から実行委員会を代表して受賞した。
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東京都生活文化局が事務局を持つ「美しい景観をつくる都民会議」が実施している「平成8年度東京都都市景観コンテスト」の団体部門で、東京「農」の風景フォトコンテスト実行委員会が、
フォトコンテストを通して、東京の景観形成に優れた活動を実施していると、「東京都知事賞」を受賞する事ができた。
お陰で、応募作品は、東京都を始め関係機関や消費者団体からの借用依頼も多く、JA東京グループの、貴重な財産となっている。
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これら応募作品を集大成して、写真集「あすに息ずく 東京『農』の風景」を、平成9年11月に発刊したが、編集にあたっては、コンテストの審査委員長・英伸三先生に、写真の選考をお願いした。
季節ごとに移り変わる東京の農の風景。土作り、楽しい田植えなど、春から夏にかけての農作業。
収穫の秋から、冬にかけては。東京にもあった村祭り。稲刈り、野菜の宝船など。忘れかけていた、農の風景が応募されている。
JA東京グループでは、これまで10年間、東京「農」の風景フォトコンテストを実施してきたが、中央会では、知事賞の受賞を機会に、コンテストの企画を大幅に改め、平成9年から景観に着目、『東京「農」の風景・景観コンテスト』として、再スタートをした。
審査委員長には、東京農業大学の進士五十八教授にお願いした。