2022年01月12日

谷中 七福神巡りのコースから道がそれて、3時間の行程になった。


10日(日)に、谷中七福神巡りに出かけたことは、ご報告をしたが
所々でコースをそれたので、結構時間がかかった。

最初にコースをそれたのは、布袋様の修性院の脇が、
富士見坂になっていて、登りきったところが、諏方台通りで、

その辺りは、台東区の野外見学会で受講者をお連れしたことがある。






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参加された、江戸東京・伝統野菜研究会の渡邉和嘉副代表と
亀島由美子さんは初めてだったので、案内したもの。

西日暮里駅が左下に望めるが、京浜東北線、東北新幹線、
常磐線が通過している。
ここから望める範囲は水田や畑作が広がっていたが、
この地でショウガが栽培されていた。
明治16年に、眼下に鉄道が敷かれたことからショウガ栽培の
農地は無くなってしまった。

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平成9年、諏方神社に農業説明板を建立させてもらった。




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諏方神社の隣が、法輪山浄光寺で、八代将軍吉宗が鷹狩の際に
御膳所となり小松菜や三河島菜などを料理提供したという。

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同寺には、三代将軍家光の「御腰掛石」があり、二人を案内した。

浄光寺からは諏方台通りを天王寺に向かったことから、
賑やかな谷中銀座商店街は通らなかった。






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寿老人の長安寺から大黒天に向かう途中で、言問通り
「上野桜木」信号角、古民家の喫茶店カヤバコーヒーの二階で休憩。

谷中ジンジャーを注文。
砂糖漬けの谷中ジンジャーのスライスが2枚入っていた。

通りを挟んだ角地には、移築した酒屋吉田屋本店が公開されていた。







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言問通りを西に行くと、善行寺坂の中腹に玉林寺があり、
境内には生前に建立された「千代の富士」の青銅立像。

横綱千代の富士像建立の碑
相撲界唯一の国民栄誉賞を受賞 史上有数
昭和最後の大横綱千代の富士の業績を讃え
顕彰すめ為 雄姿を留める立像を建立しました。
平成二十三年一月吉祥日
望湖山王林寺 第二十代住職 山口孝雄

第二十八代横綱千代の富士貢略歴・・・・

寺の向かいにある盛香園という花屋さんの御主人、
店の中に、九重親方(千代の富士)の手形やサインなどを飾っていて
色紙を持ってきて見せてくれた。

そこから、大黒天に向かう。






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大黒天から、不忍池に向かう途中、水月ホテル鴎外荘の前を通った。

鴎外荘は閉館したことから
水月(株)は、現在日暮里駅前に事務所は移している。






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不忍池に向かう途中で上野の山に登り、寛永寺清水観音堂の舞台へ
月の松から、不忍池弁天堂を望む

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昨年来たときに、月の松については書いている。

この後、弁天堂を参拝してから、昼食の東天紅へ





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ご苦労様と、エビスで乾杯!1
9時半にスタートして、13時26分に乾杯、
途中休憩したが、約3時間の谷中七福神巡りで疲れた。

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ランチを注文
前菜は、トマト、蒸し鶏、帆立、葱のソース。
生野菜、マンゴーのドレッシング。




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薬膳スープ
大湯葉、きぬがさ茸、夏草花、ハスの実
海老蒸し餃子と焼売





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黒酢の酢豚・ハス・薩摩芋、シシトウとパプリカ
エビとイカに野菜
ぱくちー、セロリ、筍、エリンギ、紅心大根
ザーサイ、ごはん。

最後に、杏仁豆腐
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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