2022年01月24日

江戸時代から続く三鷹市大沢のワサビを取材しようと、かつて栽培していた箕輪さんのお宅に伺った。


朝日新聞夕刊トップに三鷹大沢のワサビが、掲載されたことで、昨年7月に、大沢の里・古民家に行ってみたことは、ブログに掲載した。

40年前に見に来たときは、カラー栽培に切り替えていたが、まだあったのかと、改めて、ワサビ田を覗いた。
奥多摩のワサビ田をイメージしていたが、夏草がうっそうとしていて、ワサビは見えなかった。
その後、大沢の資料を調べていたら、昨年3月の東京新聞の記事に、箕輪清さんが、沢山のワサビの葉と共に写っていた。

改めて夏草の枯れたこの時期に、ワサビ田の様子が見たくて、JA東京むさし三鷹支店の営農担当に電話をして、箕輪さんにお会いできないかと依頼したが、

古民家やワサビ田は、三鷹市の管理下にあるからと、三鷹市の下原裕司学芸員にお願いして箕輪さんに連絡を取って頂いた。




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箕輪さんは、古民家(旧家)の北側にお住まいで、お宅に伺いお話を聞いた。
箕輪さんは、お勤めをしていたことから、奥様が、先代の一二三(かずさだ)翁を支えたようで、ワサビやカラー栽培については、奥様が詳しいとのことだった。

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話の経過の中で、ワサビ田の写真を撮らせていただきたいとお願いすると、箕輪さんは電話で下原学芸員に了解をとって頂いて、ワサビ田に入れていただいた

ワサビ田を流れる湧水が池に落ちる手前に弁天様が祀られていた。






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崖の上に住宅や、東八道路ができてから湧水量は減少している。

昨年見に来た時には夏草が繁茂していて、ワサビは見えなかったが、こんなにワサビが生えているとは思わなかった。
古民家を管理する、三鷹市のスタッフが、ワサビ田の各所に設置した温度計をチェックしていた。
通常の水温は17℃程度だが、この日は寒く15.5℃だった。

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ワサビ田には畝らしきものはなかった。





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昨年よしずが掛けてあったのが、取り除かれていたが、何を守っていたのか・・・・

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一本のワサビから脇芽が沢山出て、葉が茂っていた。

箕輪さんの話では、大沢ではワサビの花は咲かせないように、抽苔した芽を摘んでいたという。
一二三翁の時代に、奥多摩ワサビの方が大きくなるからと、数株を持ってきてくれた人がいたが、香りや辛味は、大沢のワサビの方が上で、奥多摩ワサビは大沢の土地と湧水にあっていないということで、抜き取ってしまったという。

古民家の一角に数軒の箕輪一族が住んでいる。箕輪清さん一家、同じようにワサビ栽培をしていた箕輪宗一郎さん(97)、崖側では、ワサビ栽培はしていなかったが、昔からワサビ漬けを販売していた箕輪さんもお住まいだ。

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