2019年3月に立川市砂川町1丁目の園部謙一さんが、
前年に栽培していた休眠状態のうどの根を掘り起こしているところを、取材させてもらっている。
その後、4月になって芽株を切り分けているところを見せてもらった。
そして、5月になって芽株の定植をしている
園部さんの収穫の様子は、まだ取材していなかったので、
先日、JA東京みどりの坂巻宜政広報係長に頼んで
連れて行ってもらった。
江戸近郊でうどの栽培が始まったのは江戸時代の初期だが
東京のうど栽培が穴蔵で行われるようになったきっかけは、
戦争中の昭和18年で、農家は食糧の増産でうどどころではない時代、
武蔵野の生産者高橋米太郎が、軍部の流す戦勝の情報に、
戦争に勝ったら祝賀会でうどが高く売れるだろうと、
人目につかないように屋敷内に掘ってあった桑の葉の貯蔵穴で、
こっそりと軟化うどを栽培したのが初めてと言われている。
園田さんのお宅には屋敷内に4つの穴蔵があり、
その一つに入れてもらった。
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先に入れてもらったが、穴蔵は3bとうどの穴蔵としては浅い。
4方に掘られた横穴も1bちょっと天井も低いから、
うどの枝先が天井に付くと収穫となる。
したがって穴藏の中に二人はいると、素掘りの壁に体が当たる。
浮き上がるように見える。
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園部さんは土の上に座り込んで、小刀で根元を切っていく。
切ったウドは、リンゴ箱を改造した収穫用の木箱に、
傷つけないように丁寧に入れていく。
外にいる農業ボランティアさんに声をかける。
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先に外に出て、ボランティアさんの作業を取材した。
ボランティアさんは電動ウィンチで収穫したウドを引き上げる。
そこではお母さんとボランティアさんが規格に合わせて、
太さ別に区分して箱詰め作業を行っている。
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品種は「紫」で、昭和12〜13年頃、愛知県から導入されている。
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マット状のものを下すと、それに根株が乗せられ上がってきたのを、
根株置き場に持っていき数年山積みにしておくと、
その場で土に戻る。
園部さんのウド栽培は、11月から4月で、シーズンが終わると、
根株を植えていた土まで排出する。
そして、11月に根株を伏せ込む時に新しい畑土を入れる。
大変な作業で、ボランティヤさん2人が居て
できる作業だと話していた。
坂巻さんとのトップの写真は、出てきたところで撮影したもの。
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ウドの穴蔵には、ガス抜きの換気パイプが出ている。
太い塩ビパイプは、ガスが発生しやすい4月になると
換気用として入り口の穴に差し込んで用いる。
追録
先日、なにわの伝統野菜の復活普及をしている難波りんごさんから、
東京うどを送ってほしいと電話があった。
なにわの伝統野菜「三島独活」の収穫イベントで、
東京うどとの食べ比べがしたいという。
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全国農協観光協会
(西日本事務所 06-6195-3960 担当 納谷(なや))