2022年03月30日

北区の瀧野川八幡神社では、創建820年を祝し、境内で滝野川ごぼうの播種祭を行った。


北区の瀧野川八幡神社は、建仁二年(1202)に創建され、秋には創建820年祭が執り行われる。

滝野川の地は、武蔵野台地の東の先端部に当たり、武蔵野台地の北区、板橋区、練馬区に当たる地域は、江戸城の北に当たることから、城北と云われていて、関東ローム層の火山灰土の深い地域でした。

大正5年(1916)には滝野川の種子屋が中心となり、卸売業者45名による「東京種子同業組合」が設立され、価格協定と優良原種の生産・供給等を、瀧野川八幡神社の社務所において行っていた。





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藤井宮司は、このような歴史を踏まえで、滝野川の特産だった、江戸東京野菜の滝野川ごぼう、滝野川にんじん、滝野川かぶの栽培を行い、創建820年祭に花を添えようとの想いで、富士、榛名、稲荷の各末社の例祭に合わせて、滝野川ごぼうの播種祭を執り行ったもの。

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例祭には、丸山良男責任役員をはじめ、常任総代、崇敬者の他、
地元選出の国会議員、都議会議員、区議会議員の方々、
30数名が参列された。

神代曙桜が咲き始めていた。






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冨士、榛名、稲荷の末社例祭
先、修祓 、次、一拝、次、献饌、 次、祝詞奏上、
次、宮司玉串拝礼、

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次、参列者玉串拝礼、 次、撤饌 、次、一拝

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滝野川ごぼうビールを発売している三益酒店の東海林美保社長と
東海林孝生会長も玉串奉奠をされた。







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例祭の後、藤井宮司から紹介されて、播種祭の実施について説明を行った。

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城北の地で有名になった作物は、五代将軍綱吉がまだ右馬頭と云われていた館林城主時代に、尾張から大根の種を練馬の地に導入したが、土地の地大根と交雑して1bある大根が収穫された。

五代将軍綱吉の元禄年間には、滝野川の鈴木源吾が、1bもある滝野川ごぼうを栽培し始めていた。

享保年間には、八代将軍吉宗が全国から野菜を集めた、その中に長にんじんがあり、それを滝野川で栽培すると、これも1bになった。

江戸で有名になったこれらの種を、滝野川三軒屋で販売したことから、大名たちによって全国に持ち帰られた。

江戸で有名な、滝野川ごぼうや滝野川にんじん等を、当八幡神社で栽培して頂き、
一部では採種も行い、命を繋いでいくことで、地域興しにも役立てていただきたいと申し上げて、締めくくった。





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丸山責任役員から順次、総代役員、崇敬者の順に、播種を行った。

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渡邉和嘉さんが、種を蒔く所を指示していた。

新西自治会阿藤会長と、谷端自治会正木会長と話していた時、
板橋駅近くの谷端小学校では日本農林社職員の指導で
滝野川ごぼうの栽培をしていると伺った。

今年は、滝野川地区の小学校で命を繋ぐ授業を実施したいものだ。






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塩ビのパイプ、9本に全員で播種を行った。
滝野川ごぼうは、9月19日(祝月)に収穫祭が行われる。
収穫後に、今度は滝野川かぶの播種が行われる。

滝野川にんじんの収穫は暮れになることから、8月に播種することになる。

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当日は、江戸ソバリエ協会・松本一夫さん(理事)と、学習院時代「内藤とうがらし女子」として活躍された関原成妙さんが来てくれたが、お二人とも北区赤羽だそうで、地元として、今後支援して頂けるという。


会場では、北区史を考える会の有馬純雄氏、滝野川四本木稲荷神社守る会の田中克造氏(元武蔵野種苗)、聖学院高等学校の大野興毅さんと名刺交換を行った。

これまで、播種祭の準備を行ってきたが、次回は間引きに来る予定だ。

尚、今回の写真は、企画プロデューサーの堀信さんと、松本さん、宮司の奥様に撮って頂いた。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 滝野川のゴボウ、ニンジン
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