世田谷で、無農薬有機栽培を実践されている大平農園、11代当主で、
昭和8年生まれ (89歳)の大平美和子さんから、編集者・ライターの
菅聖子さんが、世田谷の篤農家・大平家400年の暮らしを聞き出した。
伝統野菜は、長老に聴け!、伝統野菜は時間との戦いだ!。というが、
東京の農家の暮らしが語られている、貴重な1冊となっている。
旬報社で編集をされた今井智子さんに、何で私に贈って頂けたのかと
聞いてみた。
すると、大平さんの贈呈者リストの中に入っていましたという。
それで了解した。
そもそも、美和子さんのお父様の大平信彌氏は、戦後の食糧難に
首都圏の農家をまとめて増産運動を展開し、昭和22年明治神宮の
奉献組織「足食会(そくしかい)」を結成し、
貴重な農産物は拝殿内に奉献された。
そのことを、私が現役の頃に「都市農業に息づく心」
(明治神宮農林水産物奉献会発行)に、記したことから、
それを記憶にとどめていて下さったようだ。
同誌にもあるが「女系が五代つづきました。」
お父様の信彌氏は清岡子爵の血縁に当たり、幼少にして
大平家に養子縁組している。
大平家は農家の中でも、ただの農家ではない。大平家の歴史は、
日本の農業の歴史でもあった。
信彌氏は、全国から大勢の研修生を受け入れていた。
ビニールハウスを考案したのも信彌氏だった。
ハウス内で、農薬を使ったことから体調を壊し、
ご主人の博四氏は、無農薬有機栽培に切り替えられた。
屋敷のけやきで腐葉土を作り、種をまき、苗を植え、収穫して
種を取り、また種をまく…、ゆっくりと続く農の循環。
跡継ぎのない最後の当主として、失われゆく原風景と
農的暮らしを語り継ぐ。
新緑の欅の大木がそびえる大平家は、遠くからでもよくわかる。
ご主人と娘の要子さんの3人て明治神宮の奉献会にいらしたこと等、
そんな思い出話を・・・
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江戸東京野菜の現状もお話した。
城南小松菜を、大平家で栽培していることをテレビで話されたことで、
残っていたことを知り、今や江戸東京野菜に登録されている。
スマホに取り込んだ江戸東京野菜の写真を見てもらいながら
内藤カボチャを見ながら、昔はちりめんのカボチャを作っていたとか、
練馬など長い大根は作ったことはないと云っていたが
大蔵大根は大塚さんが作っていますネ。
きれいな亀戸大根は、葛飾の鈴木藤一さんが栽培していましたネ、
また、世田谷の下山千歳白菜は、作っている方はいますか、
馬込では三寸ニンジンを作っていますかなど、お詳しい。、
帰りに畑も見せてもらったので、ここから。