2022年05月01日

徹底した無農薬有機栽培をしている世田谷区等々力にある大平家の畑を案内してもらった。


世田谷区等々力の大平邸に11代当主の美和子さんを訪ねたことは、
先日紹介した。

現役時代の20年前に何度か伺って、原稿を書くためにご尊父信彌氏の
写真や資料などを見せていただいたことがあった。

戦後日本で初めて、木材と竹でビニールハウスを作った時の写真も

昔話や、城南小松菜を守ってこられたことへの感謝と、
江戸東京野菜の話で長くなってしまったので、お疲れになってもと、
話題が変わったところで、
畑も見せていただきたいとお願いして、屋敷を辞すことにした。




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畑を手伝っている矢野さん(写真左)を、呼んで案内するように
頼んでいただいた。

400年の欅の新緑が一番きれいな時期だった。
屋敷と道を挟んだ建物で、収穫された野菜を販売していた。






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大平家では、著書にもあるが、先代の頃は新宿の淀橋市場や
世田谷の荏原市場に信彌氏が自ら牛車で持って行っていたと云う。

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博四氏の代になると、無農薬有機栽培に変わったので、虫食い野菜は、
市場販売は無理だったが、安全安心を求める方々の会員制「若葉会」が
結成されたことで虫食いでも、喜ばれた。

江戸東京野菜をはじめ、東京産野菜として、我々のグループにも流通を
担当する者もいますと、果菜里屋の高橋さんを紹介しようと思ったら、

先に「果菜里屋さんが来ていました」、と云われた。

娘さんが大学の時に、何年か実習に来ていて、羽村からうちに来ていた
実習生と一緒になったんですヨ!、
そんなご縁があったとは知らなかった。





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自宅から400m先に、農具を格納する建物と70aの農地があり、
ボランティアの方々が野菜を栽培して、若葉会に供給している。

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写真上の3枚は城南小松菜で、右の小松菜は、大きくなっているが、
このくらいになっても城南小松菜は柔らかいので、需要は多い。

写真下は、ほうれん草(冬ごのみ)






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昔から種を採って栽培している長ねぎは世田谷の伝統野菜「牛の角」で、苗づくり、これを根深に作るという。

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写真上は、春菊、紫蘇、パセリ、城南小松菜。
写真下は、スワンカブの白鳥
部屋に飾る花を、美和子さんに頼まれたのか、矢野さんは畑の隅に
咲いているアヤメの花を切っていた。






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この日のリーダー、鈴木さんが、畑を案内してくれた。

都サラダ菜(レタス)などを栽培していた。

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池があって周辺にはヒキガエル等もいるようだ。
この農園では、昆虫やクモまで、無農薬有機栽培には欠かせない
スタッフだ。

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地元の植木屋さんが剪定枝を持ってくるという、
これをチップにして堆肥にしていた。






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向かいの畑には、城南小松菜が、実をつけていた。

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鈴木さんがトマトのベットを6枚作るとかいって、
鍬を振るっていたが、その隣で城南小松菜の採種が行われていた。

この畑の入り口には、伝統野菜の長ネギ「牛の角」が栽培されていて、
ネギ坊主の花が咲いていて、採種をしていた。






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圃場からの帰り、大平邸は400bぐらい離れていたが、
400年の欅が遠くからも見える。

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途中まで行って左に曲がって、大井町線の尾山台駅に向かった。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達
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