先日紹介した。
現役時代の20年前に何度か伺って、原稿を書くためにご尊父信彌氏の
写真や資料などを見せていただいたことがあった。
戦後日本で初めて、木材と竹でビニールハウスを作った時の写真も
昔話や、城南小松菜を守ってこられたことへの感謝と、
江戸東京野菜の話で長くなってしまったので、お疲れになってもと、
話題が変わったところで、
畑も見せていただきたいとお願いして、屋敷を辞すことにした。
畑を手伝っている矢野さん(写真左)を、呼んで案内するように
頼んでいただいた。
400年の欅の新緑が一番きれいな時期だった。
屋敷と道を挟んだ建物で、収穫された野菜を販売していた。
世田谷の荏原市場に信彌氏が自ら牛車で持って行っていたと云う。
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博四氏の代になると、無農薬有機栽培に変わったので、虫食い野菜は、
市場販売は無理だったが、安全安心を求める方々の会員制「若葉会」が
結成されたことで虫食いでも、喜ばれた。
江戸東京野菜をはじめ、東京産野菜として、我々のグループにも流通を
担当する者もいますと、果菜里屋の高橋さんを紹介しようと思ったら、
先に「果菜里屋さんが来ていました」、と云われた。
娘さんが大学の時に、何年か実習に来ていて、羽村からうちに来ていた
実習生と一緒になったんですヨ!、
そんなご縁があったとは知らなかった。
ボランティアの方々が野菜を栽培して、若葉会に供給している。
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写真上の3枚は城南小松菜で、右の小松菜は、大きくなっているが、
このくらいになっても城南小松菜は柔らかいので、需要は多い。
写真下は、ほうれん草(冬ごのみ)
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写真上は、春菊、紫蘇、パセリ、城南小松菜。
写真下は、スワンカブの白鳥
部屋に飾る花を、美和子さんに頼まれたのか、矢野さんは畑の隅に
咲いているアヤメの花を切っていた。
都サラダ菜(レタス)などを栽培していた。
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この農園では、昆虫やクモまで、無農薬有機栽培には欠かせない
スタッフだ。
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地元の植木屋さんが剪定枝を持ってくるという、
これをチップにして堆肥にしていた。
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鈴木さんがトマトのベットを6枚作るとかいって、
鍬を振るっていたが、その隣で城南小松菜の採種が行われていた。
この畑の入り口には、伝統野菜の長ネギ「牛の角」が栽培されていて、
ネギ坊主の花が咲いていて、採種をしていた。
400年の欅が遠くからも見える。
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途中まで行って左に曲がって、大井町線の尾山台駅に向かった。