JA東京南新宿ビルで、15時から開催された。
これまで、江戸東京野菜をはじめ地域農業の振興に取り組む方々に
講演を頂いているが、今回の鈴木留次郎さんには2020年に
予定していた。しかし新型コロナの影響で、開催を断念、
鈴木さんも新型コロナの感染者の少ない檜原村から蔓延している、
新宿まで出てくることに不安を感じておられた。
今回は、おいねのつるいもや、白岩ウリ、ルバーブやなつはぜの
ジャムなど、試食用に持ってこられたので、奥様とご一緒に来られた。
写真は、檜原村のメインストリートで、手前の丸が元檜原小学校跡地に
建てた檜原村役場、上の丸は鈴木さんが、おいねのつるいもや、
ルバーブを栽培している斜面の農地。
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今月2日には、テレビ朝日の「食彩の王国」、7日にはテレビ東京の
「昼めし旅」と各局で放送された。
鈴木さんは、元檜原村助役をされ、観光協会の事務局長、JAあきがわの
理事を歴任、現在は檜原村じゃがいも栽培組合組合長をされ、
檜原の歴史文化を後世に伝える取り組みを行っている。
栽培されていたが、先代から引き継いだ峰岸奈津子さんが栽培を続け、
藤倉の田倉信子さんにあげたことから田倉さんも栽培している。
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今回持参頂いた白岩ウリは、この時期だから若採りで8月の上旬に
なると、ヘタに近いところが黄色くなり、それが食べごろだとか。
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数馬の生産者小林正江さんにも話を聞いている。
おいねのつるいもには、諸説あるようだが、
鈴木さんの話では、大正時代に山向こうの神奈川県から、おいねさんが
数馬山荘に嫁に来た時に、両親が飢饉対策として芋を持たせた
ことから、地域で栽培が広がり「おいね芋」と呼ばれるようになった。
それ以前数馬では、甲斐の国の代官中井清太夫が普及した清太夫芋が、
都留芋として栽培されていたが、「おいねいも」はつるいもと
同じだったことから、「おいねのつるいも」と呼ばれて栽培された。
鈴木さんは、檜原ジャガイモ栽培組合の組合長をされていて、
男爵やきたあかり、メークインなどを栽培しているが、今年2月に
ジャガイモの焼酎工場が完成したことから、
「ひのはら物語」が販売されている。
鈴木さんは、檜原の産物で「檜原土産」を作っている。
その一つが、メープルシロップで、檜原の山にある、イタヤカエデの
樹液を2月に採ってメープルシロップを作ってている。
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ナツハゼのジャムも作っている。
人里の道路沿いに、ナツハゼの栽培地があり、何度か見に行っている。
自宅近くの傾斜地に、鈴木さんの畑があり、そこには、
ジャガイモの他、ルバーブも栽培している。
ルバーブはジャム用に栽培していて、昨年、ジャムの作り方を
教えてもらっていたことから、昨年から東京女子学院高等学校で、
地産地消として鈴木さんのルバーブを使ってジャムづくりを
指導している。
栽培するまでには至っていなかった。
鈴木さんは、檜原の林道脇に花が咲いていたのを見つけ、何度も
栽培を試みていたが、ようやく栽培に成功した模様。
ねんねんぼうは「おやまぼくち」として、奧信濃の幻の蕎麦処
「富倉そば」は有名で、檜原村でも一時「玄庵」で出していたが
「おやまぼくち」が入手困難で、その後出していなかった。
栽培が可能となったことから村興しに活用出来ないかと、
鈴木さんは模索している。
司会の立場で、会場に見えていた、本会の顧問向笠千恵子先生に
「おやまぼくち」の情報について聞いてみた。
向笠先生が行かれたとして、新潟県下田(ひただ)で笹団子を食べたと、
茨城県大子町の奧のエリアと、長野県飯山で富倉蕎麦を
食べてきたと教えて頂いた。
伝統野菜プロジェクトの草間壽子代表は、島根県出雲に
「宝庫そば」があると云う。
出雲では「キクバオヤマボクチ」を「宝庫」と呼び、
出雲大社のそば屋「山太」で食べたと、紹介を頂いた。
何と「山太」の森山さんは出雲おろち大根を使っていて
よく知っているが、宝庫そばは知らなかった。
後日、草間代表はキクバオヤマボクチの写真を送ってくれた。
追伸
鈴木さんは、乾燥したおやまボクチの葉を数馬の岡部勝子さん(88歳)
から頂いていて、そばのつなぎに使うならと、ほし理事長に手渡した。
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岡部さんは、一年以上持つからとお茶の大きな缶に入れて保存、
そのおやまぼくちを分けて頂いたという。
追伸
「ベテラン農家は語る」に先立って行われた
「はじめての江戸東京野菜講座」、引き続き「試食会」が行われた。