”わさびサミット2022” が開催されたことは報告した。
サミットで、三鷹市生涯学習課の下原裕司主査学芸員は、
今後、培養苗を1000株、大沢のわさび田で育成するために
ボランティアを募集するとの方針を明らかにした。
取材もしたいので、ボランティアに応募した。
行くしかない、江戸東京野菜の応援団の一人三鷹の海老原雄一郎さんに
メールで教えてもらった。
JR三鷹駅から、榊原記念病院行で、龍源寺下車、野川の袂に着いた。
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野川は国分寺崖線の湧水を集めて流れていた。
三鷹市大沢の里を流れる湧水もその先は野川へ(写真左上)
大沢の里古民家ボランティアの久保充さんが報告していたが、
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わさび田を古民家裏の北ゾーンから、中央ゾーン、南ゾーンに
分けているが、ワサビ田は石垣や木々で区切られていた。
一斉活動日で、10時古民家に、ボランティア16人が集まった。
南ゾーン
箕輪家では、販売用ワサビを栽培しなくなった1950年代、
カラーの花を導入して栽培を始めた。
ボランティアの作業は、草むしり。
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わさびとカラー以外の、夏草を抜いていく。(左上)
崖下の土留めの大谷石の間、数か所から湧水が流れ出ていた。(右上)
これまでのボランティアが、北側奥にワサビを集めていた。(右下)
わさび田の湧水を集めて、水田が広がっている。(左下)
撮影していた時は、気が付かなかったが、セミが鳴いていた。
箕輪さんの自宅(古民家)裏にもわさび田が広がっていた。
崖の上を宅地化することで木を伐採されたことから、
水が湧かなくなった為、東京都では井戸を掘ってわさび田に
流していた。
今でも2か所の蛇口から地下水を流している。
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箕輪一二三さんは、自宅裏のわさび田の、景観が好きで、
縁側に座って眺めていたという。
直射日光を避けるために、黒い寒冷紗をかけて栽培していた。
ボランティアの皆さんは、わさびが育つように
寒冷紗の下の草むしりをした。
今年の1月に箕輪さんに案内して頂いている。
わさび以外の草は枯れていて、わさびがたくさん生えていた。
改めて、中央エリアに立って周りを見ると、崖上の宅地の空間が透けて見えて、一部崖は崩れて、大谷石の土留めも崩れて
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土留めの大谷石の脇から、東京都が設置した井戸水を流していた。
崩れた大谷石の周りにはヤブミョウガが群生していた。(左上)
下原主幹学芸員は、ボランティアに解説していた。(左下)
箕輪家が崖地を掘って平らなわさび田を作ったが、石垣の高さ分
を掘り下げていて、下原さんの後ろの石垣は、南エリアとの境で、
出山横穴墓への登り口になっている。
水草が茂っていたが、足元にまでわさびが生えていた。(右下)
わさびは、奥多摩の真妻種より、葉が小さかった。(右上)
今回は、中央エリアでの作業は行わなかった。
今後、ボランティアの作業は毎月第一土曜日には行われる