2022年08月16日

キヤノングローバル戦略研究所の先生方に、練馬大根の渡戸さんを紹介した。


8月初めに、キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)の主任研究員
の堅田元喜先生から、メールを頂いた。
堅田先生とは、昨年の12月に、CIGS研究主幹の杉山大志先生に
ご紹介を頂いたもので、

メールには、「温暖化影響評価の研究を通じて、江戸東京野菜の普及にも貢献できれば」とあった。
温暖化の研究の視点から、江戸東京野菜が活用できるのなら
是非お願いしたい。

話では、1900年ごろから現在に至るまで 、栽培が途絶えなかった
15種の野菜のいずれかについて、生産者に過去のお話を
聞かせていただきたいと云う。

伝統野菜は長老に聞け!」、ということで、コンシェルジュ協会の
講座でもお話を頂いている、渡戸章さん(89歳)にお願いして伺った。






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お二人とは16時に有楽町線平和台駅で待ち合わせをした。
昨年12月にお会いして以来だ。

上の画像をタップする。
渡戸さんにお会いするのは、今年の2月、車で来たのが最後で、
干し大根を分けてもらった。

平和台の駅から渡戸農園は近い。
渡戸さんは、秋まきのキュウリを蒔くハウスを耕していた。







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早速、要件を話して、お話を聞いた。
練馬大根のことなら、渡戸章さんが一番詳しいからと、
お話していたので、杉山先生、堅田先生は質問を続けた。

上の画像をタップする。
当時の練馬大根の栽培について、
耕起、播種日時、育苗、施肥、除草、収穫量、出荷量などだ。

このことは、「気温上昇ではなく社会変化で練馬大根は主役の座を
降りた」にまとめ、今月末にはCIGSのHPに掲載するという。      

渡戸さんの話の中で、私も印象に残った話があった。
今、瀧野川八幡神社で滝野川ゴボウの復活栽培をしているので
滝野川ゴボウを収穫した秋には、天地返しをしたという話。





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練馬では江戸の頃から1950年代頃まで、滝野川ゴボウ作ったという。

前に渡戸さんに聞いたことを思い出したが、富士街道沿いの春日町には
ゴボウ屋が何軒もあって、ゴボウを畑にある立ち毛で買って、
ゴボウを掘り、洗って束にして、神田の市場に出荷していた、と云う。

農家でも折れたゴボウなどは、女衆がきんぴら用に刻んで、
きざみゴボウを作って八百屋に卸していたと云う。

練馬大根と同じように滝野川ゴボウも1bと長い。
収穫するには、土壌を深く掘り起こしながら収穫するので、
上の土を下に埋め、下の土を上にする方法は天地返しと呼ばれていて、

当時、バイラス病という土壌の病気が蔓延して、練馬大根に大きな
被害が出ていたことから、天地返しによる土壌の改良が
行なわれていた。と云う。


渡戸さんには、自宅で話を聞いたが、興味深い話は終わらないので、
平和台駅前のレストランに席を移し、さらに20時頃まで話を聞いた。

皆さんご苦労様でした。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 粋な江戸っ子は白首大根
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