の堅田元喜先生から、メールを頂いた。
堅田先生とは、昨年の12月に、CIGS研究主幹の杉山大志先生に
ご紹介を頂いたもので、
メールには、「温暖化影響評価の研究を通じて、江戸東京野菜の普及にも貢献できれば」とあった。
温暖化の研究の視点から、江戸東京野菜が活用できるのなら
是非お願いしたい。
話では、1900年ごろから現在に至るまで 、栽培が途絶えなかった
15種の野菜のいずれかについて、生産者に過去のお話を
聞かせていただきたいと云う。
「伝統野菜は長老に聞け!」、ということで、コンシェルジュ協会の
講座でもお話を頂いている、渡戸章さん(89歳)にお願いして伺った。

昨年12月にお会いして以来だ。
上の画像をタップする。
渡戸さんにお会いするのは、今年の2月、車で来たのが最後で、
干し大根を分けてもらった。
平和台の駅から渡戸農園は近い。
渡戸さんは、秋まきのキュウリを蒔くハウスを耕していた。

早速、要件を話して、お話を聞いた。
練馬大根のことなら、渡戸章さんが一番詳しいからと、
お話していたので、杉山先生、堅田先生は質問を続けた。
上の画像をタップする。
当時の練馬大根の栽培について、
耕起、播種日時、育苗、施肥、除草、収穫量、出荷量などだ。
このことは、「気温上昇ではなく社会変化で練馬大根は主役の座を
降りた」にまとめ、今月末にはCIGSのHPに掲載するという。
渡戸さんの話の中で、私も印象に残った話があった。
今、瀧野川八幡神社で滝野川ゴボウの復活栽培をしているので
滝野川ゴボウを収穫した秋には、天地返しをしたという話。
練馬では江戸の頃から1950年代頃まで、滝野川ゴボウ作ったという。
前に渡戸さんに聞いたことを思い出したが、富士街道沿いの春日町には
ゴボウ屋が何軒もあって、ゴボウを畑にある立ち毛で買って、
ゴボウを掘り、洗って束にして、神田の市場に出荷していた、と云う。
農家でも折れたゴボウなどは、女衆がきんぴら用に刻んで、
きざみゴボウを作って八百屋に卸していたと云う。
、
練馬大根と同じように滝野川ゴボウも1bと長い。
収穫するには、土壌を深く掘り起こしながら収穫するので、
上の土を下に埋め、下の土を上にする方法は天地返しと呼ばれていて、
当時、バイラス病という土壌の病気が蔓延して、練馬大根に大きな
被害が出ていたことから、天地返しによる土壌の改良が
行なわれていた。と云う。
渡戸さんには、自宅で話を聞いたが、興味深い話は終わらないので、
平和台駅前のレストランに席を移し、さらに20時頃まで話を聞いた。
皆さんご苦労様でした。