渡戸章さんから話を聞いての「気温上昇も味方につけた練馬大根
だが、社会の変化で静かに主役から退いた」は、
同研究所のHPに掲載されたことは、紹介した。
温暖化が伝統野菜の栽培にどのような影響を与えたかを伺うために
杉山先生と、堅田元喜主任研究員のお二人を、ご案内したが、
種の業界の話も聞きたいと云うので、現役時代からお世話になっていて
、前にも伺ったことのある日本農林社近藤宏会長に
時間を割いて頂いた。
杉山先生は、当日体調が思わしくなかったので、来られなかったが、
近藤会長(七代)には日本農林社の取り組みについてお話を頂いた。
鈴木政五郎商店(丸政)として、中仙道滝野川に創業し、
練馬大根、滝野川ゴボウ、滝野川ニンジン等の種子を販売してきた。
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会長室には、三代目の鈴木政五郎(写真右端)から六代まで掲げている。
同社は、戦時中の食料供給を契機に急成長し、終戦による統制解除後の
昭和27年11月に「株式会社 日本農林社」となり 、
その後、F1の育種を開始。
遺伝子組換えには手を出さず、現在はゲノム編集技術を用いて
新品種の開発を進めている。
次世代食料へのオピニオンリーダーのプライドを持って・・・。
堅田先生は、会長に温暖化が育種に与える影響の質問をされれていた。

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練馬大根が最盛期の頃は、練馬の農家に採種を依頼していた。
指定産地の作物は、産地の農家に依頼することもあった。
降雨量の多い日本では四国や佐渡の高冷地で採種をしていたが、
種採りは、面倒で高齢化の中でやれる農家は減少し
時間がかかり生産効率が低いことから、
2000年代からは種苗業界各社とも海外に目を向けるようになる。
ヨーロッパなど地中海気候下にある海外の種苗会社の協力を
得て採種して日本に輸送しているという。
しかしウクライナ戦争で輸送機能が落ちている今、
種の価格も上げざるを得ない現状だという。
大槻伸一取締役本部長が紹介された。
大槻本部長は、滝野川地区小学校の栽培指導をしている。
堅田先生は茨城大学で授業を持っている事から、茨城県の阿見に
同社の研究開発センターがあることを知っていて
近藤会長に視察をお願いしていたが、是非との返事を頂いた。
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種子屋街道によるまち興しは、大正大学が行っているが、日本農林社
では協力をしていて、同社の壁面には「種子屋街道のあゆみ」や、
「日本農林社のあゆみ」などが掲げられていた。
種子屋街道の幟と、説明看板が掲げられている。
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近藤会長に種屋街道に現在も残る種屋としては日本農林社の他、
滝野川種苗、東京種苗があるが、かつての種屋さんは
どこかに移られたのかを伺ったら、種屋はやめたが地主として、
そこに住んでいますとのことだった。
東京種苗(株)の昔の建物が保存してあったが、数軒先に
「東京種苗」の事務所があった。
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高岩寺のお地蔵さんに寄って、堅田先生はお地蔵さんを洗っていた。