2022年09月12日

江戸東京野菜推進委員会が、9月9日に開催され、提案された三鷹大沢わさび、小笠原のバナナ、東京べか菜、宗兵衛裸麦が承認された。


江戸東京野菜推進委員会が、9月9日に立川で開催された。
同委員会は、7月29日に開催されたが、事務局から提案された
江戸東京野菜の新規登録(案)について、
”三鷹大沢わさび” を事例に、江戸東京野菜の
考え方について申し上げたところ、委員の皆さんの同意が得られ
事務局が再検討をして、9日に再度委員会が開催されたもの。





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江戸東京野菜の定義等について、検討された、都市農業支援部の
武田直克特命参与、水口均非常勤サポート、能城友明係長。

上の画像をタップする
委員長の、島田幸雄委員長(JA東京中央会常務理事)
副委員長の東京都農業振興課の玉藤さやか課長代理他、
各地区指導員連盟副会長は、代理出席が多かったが、
江戸東京野菜の生産者としては、
練馬区の渡戸秀行さん(元青壮年組織協議会委員長)と、
青梅市の関塚貢司さん(東京都野菜生産団体連絡協議会顧問)が
前回同様出席された。







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三鷹大沢わさび
東京都三鷹市の古民家保全地域で栽培されているワサビが、
希少な在来種であることがDNA鑑定で明らかになった。
このワサビ、江戸後期に三重県の伊勢から持ち込まれ、
江戸前ずしブームで栽培が広がったとの言い伝えも残る。
遺伝子情報をたどると、言い伝えによると、200年ほど前の
文政年間、伊勢出身の箕輪政右衛門が始めたワサビ田だ。
仕官目的で上京したが、江戸は当時、握りずしがブーム。
ワサビの需要が高まっていた。大沢の豊かなわき水に着目し、
故郷近くの五十鈴川に生えていたワサビの移植をしたもの。
市が箕輪家から古民家を寄贈され、2018年の一般公開に
向けて史的な価値を調査する一方「江戸東京野菜」とも
云えるワサビの復活にボランティアらと取り組んできた。
その過程で「ワサビ博士」で知られる岐阜大学の
山根京子准教授にDNA鑑定を依頼した。
(朝日新聞デジタルより)
生産は、三鷹市大沢のわさび田・奥多摩のわさび田
・都立農業高校神代農場わさび田
記入・JA東京むさし平塚和大

三鷹市では1000株を増殖中。







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小笠原のバナナ
天保元年(1830)、無人島であった父島にハワイから最初に移住した
欧米系の人達により、バナナが持ち込まれました。

明治39年頃からバナナ栽培は急激に増加しました。まだ日本に
台湾バナナが輸入されていない時代、本土での小笠原バナナは
独壇場で、栽培面積も130ヘクタールに及び、
農家はバナナ景気に沸きました。

小笠原のバナナは10〜13センチと小型で皮が薄く黄熟し、風味が
良いため人気があったので、農家の努力で大正12年には栽培面積も、
110ヘクタールまで回復し、内地向けのバナナボートが年20回にも
なりました。大正と昭和の天皇陛下ご即位に伴う大嘗祭に、
小笠原のバナナが献上されました。(江戸東京・農業説明版より)
記入 JA小笠原アイランズ 野沢信子

小笠原のバナナは、島バナナとして奄美大島、更には沖縄に伝わり定着している。






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東京べか菜
 葉柄肉厚で丸みをおび、純白で光沢ある。葉身はやや短く幅広で
厚みがあって、欠刻ちぢみなくなめらかで大きく濃緑となる。
葉色薄緑で黄昧をおび、丸葉、切葉さんとう菜と異なり中心葉が
まきあがって株太りするので、草姿よく荷造りが容易である。
葉折れすることも少なく、しおれもおそく、長く新鮮味を保つので
商品価値が高い。
都市近郊に適する商品性の高い漬菜で、産地は限定されるが、貴重な
地場野菜品種といえる。
べか葉は、漬け菜の一種で不結球白菜の山東菜の中から選抜された。
ベカはべか船から来ていて小型の形状を意味している。べか船とは、
のり採り舟のことで、長さ12尺(3.6メートル)幅2尺8寸(84センチ)
位の薄板で造られていた。
東京べかな(トキタ種苗)、後関べかな(日本農林社)が販売している。
記入 JA東京あおば 村田雄飛

委員の渡戸秀行さんは、親の時代から栽培していると語っていた。



江戸東京野菜の品目認証として
野菜以外の農作物については、これまで参考品目として、
金子ゴールデン、柳久保小麦、古里1号、平山陸稲、多摩川梨、
禅寺丸柿、深大寺在来だったが、「歴史伝承作物」として委員会
において認証することになった。


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宗兵衛裸麦
 明治時代は、麦は欠かすことのできない主食でした。川口村
(現在の八王子市川口町)では農地の90パーセント近くが畑で、
多くの農家では畑づくりに力を入れていました。
 河井宗兵衛は嘉永六年(1853)下川口村堀口の生まれで、農業
技術研究に極めて熱心で、特に裸麦の品種改良に精力的に取組み、
4年余の歳月を重ねて「宗兵衛裸麦」を生み出しました。
 本来温暖な西日本の水田裏作に多く栽培されていた裸麦は、
関東の気候には向いていなかったので、冬の低温、乾燥などの
悪条件を克服して、良く実を結んだ「宗兵衛裸麦」はその耐寒性
と品質、収量など、総合的に優れた品種で、多くの農家の注目を
集め、明治末期には農業試験場も他府県との比較調査に取り上げ
優良品種とし、最盛期の昭和10年には東京府の裸麦栽培面積の
42%を占め、昭和17年には東京の奨励品種に採用されました。
記入 JA八王子 佐藤秀夫


新規登録案として提案された、三鷹大沢わさび、小笠原のバナナ、
東京べか菜、宗兵衛裸麦は、慎重審議されて江戸東京野菜として
承認された。
これにより、JA東京中央会の理事会に報告され認証される。

尚、協議に先立って行われた、新井弁理士の
講演「先使用権」はここから


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コンシェルジュ協会事業
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