10月8日(土)、9日(日)に開催された。
水車経営農家の公開日で、現役の水車を見たくて、申し込んでいた。
武蔵野地域の水車はほとんどが動力水車で、江戸時代以降新田開発に
伴って数多く設置され、明治末期から大正期にかけて最盛期を迎えた。
その後、昭和に入ると急激に減少していきました。
5分程遅れてしましたが、入れてもらえた。
上の画像をタップする
母屋は文化10(1813)年代頃(伝承)と云われている。
桁行7間、梁間3間。屋根は茅葺の寄棟造り。
建築面積は22.75坪、屋根裏では養蚕を行っていた
30分後の予定の皆さんは、母屋の縁側に置かれたモニターで
水車のビディオを見たりしていた。
こちらの農家・峯岸家の水車は、文化5(1808)年頃創設され、
その後度重なる改造を加えてきた多機能性をもつ両袖型の
大型水車で、峯岸家は文化14(1817)年以来、
五代にわたり水車経営に携わってきた。
全国的に見ても製粉精米用の水車としては最大級の規模を誇る。
また、水車とともに母屋、勝手、土蔵、製粉小屋などの建物や、
水車用水路、「さぶた」なども現存している貴重な施設。
袋が置いてあった。
三鷹市新川にある島田製粉株式会社での注文のようだ。
このそば粉、深大寺のお蕎麦屋さんが、使っているそば粉で、
深大寺の一味会が守り継いでいる深大寺在来種とは違う。
上の画像をタップする
現役の大きな水車は、直径4.6b、キリンの背丈と
一緒だと説明があった。
一口に水車と云っていたが、回るところは水輪(みずわ)と呼ぶんだ。
初めて知った。
上の動画は

水輪は、水のエネルギーを受けて回るところ。直径4.6m、幅約1m。
14個のハコとよばれる部材を、車軸から放射状に伸びるクモデと
いう支柱で支え、水輪が構成されている。
現在の水輪は、国際基督教大学から寄贈を受けた赤松を使用し、
クラウドフアンディングを活用して、多くの市民から寄せられた、
寄付金により、令和3年3月に設置されたものだという。
杵14本、挽き臼2台、やっこ節2台、せり上げ2台を動かしている。
挽き臼2台がこれ、一度挽いたものを再度挽いて更に細かくする。
上の画像をタップする
残ったものは昇降機で再度挽き臼に、これ全て水の力で。
上の画像をタップする
ありがとうございました。
大沢の里水車経営農家は、野川の対岸にある江戸時代の面影を
留めた「大沢の里古民家」とともに、三鷹のかつての暮らしを、
そのままのかたちで保存し 未来に伝えていくエコミュージアムの
考え方のもと、「三鷹まるごと博物館」の活動拠点の
ひとつと位置づけている。