これまで新型コロナの影響で「東京味わいフェスタ」が、
2018年に実施された以後中止になっているし、東京都農業祭は
一般公開が行われずに品評会だけは実施されてきた。
今年も、新型コロナの感染拡大がすべてで、
「東京味わいフェスタ2022」の実施方向が決まったのが
8月だったか、何10年も11月の2日3日が、農業祭だったから、
それ以前はないだろうと、江戸東京野菜コンシェルジュとして、
活躍している森川洋一さんから、浦和の皆さんにも江戸東京野菜の
物語を聞かせたいと、「おとなの浦和塾」での講演を依頼されて、
10月28日実施で了解をしていた。
その後に、味わいフェスタの日程が決まったと聞かされた。
「江戸東京野菜のブース」に寄って頂いているので
現状を報告していたが、今回は、協会のメンバーに任せた。
会場は50名以上入るが密にならないように半分の募集は
1週間で満員となり、何人もお断りしたということで、
森川さんにはご苦労をおかけしていた。
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江戸東京伝統野菜の物語は、レジュメに沿って

取り入れた。
幕府は天正年間に、野菜の栽培や食文化が進んでいた、
摂津から農民を砂村に誘致したが、関西の葉ネギ文化が
導入された中で、根深ネギの栽培技術が生まれ、
それが千住に伝わり千住ネギが生まれた。
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江戸時代の文化・文政期(1804年〜1829年頃)に編纂された
『新編武蔵風土記稿』に「牛蒡・大根・葱は、岩槻・越ケ谷周辺の
名物として世に称せり」と記されているという。
元荒川から船で中川、小名木川を遡って神田や千住市場に
出荷していたようだ。
現在埼玉での大産地は深谷だが、江戸には遠かったので、
明治時代末期に藍が暴落したことから、変わって生産されたのが
ネギで、昭和になって生産は拡大したという。
周りで栽培していた。
しかし、日持ちのする、サツマイモや、カボチャ等は、川越から船で、
千住市場や神田市場に持ち込まれた。
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昨年、監修の「サツマイモ大図鑑」が刊行されたが、
川越でさつまいもが栽培されたのは、昔取材に行っている。
現在の所沢市南永井でお年寄りに聞いた話。
「富(とめ)じゃとうなす、永井じゃさつま、
日比田・亀ヶ谷まくわうり」と唄われた。
うどの栽培は、霜に充てて根を休眠させることを前段に話して、
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うど苗産地は、所沢の北原町で、井荻うどなどは、
埼玉から導入していた。
東京の東、葛飾区水元から西多摩の雲取山まで埼玉は
隣接しているので、人の交流から物品の流通が古くから行われていた。
追録
聴きにきに来てくれていた。
森戸さんは10月12日に、成年後見人の講師を務めていた。
帰り、浦和まで送ってくれたが途中「調(つき)神社」を案内してくれた
この神社、鳥居が無くて、狛犬ではなく狛兎、はじめてだ
来年は兎年だから、大変なお祭りになるらしい。