杉並の農業について授業を依頼された
これまで、杉並区では都立農芸高校の農芸フォーラムと、
日本学校農業クラブ全国大会の首都圏大会で、
また、NPO法人すぎなみ環境ネットワークで環境講座として、
最近では、成田西ふれあい農業公園で、
江戸東京野菜の話をしたことがあったが、小学校はなかった。
3年生の授業では、江戸東京野菜の話の前に、杉並の歴史的な事も
話す必要があることから、調べておこうと思っていたが、
丁度、目黒に行く用事があったので、帰りに荻窪で下車して、
杉並区立中央図書館に立寄った。
杉並に設置した”江戸東京の農業説明板” には「井荻ウド」、
「高井戸節成キュウリ」、「クリの豊多摩早生」が設置してあります。
投機性の強い「藍」の栽培も井草や高円寺で栽培されていた。
大正12年の関東大震災後、下町の被災者等が移転してきた。
「杉並の各村には、大正の頃まで窪地や川沿いの斜面に杉林が
多くみられ、杉丸太の販売を産業としていた」という。
高井戸の名門内藤家の杉林や畑は、栗林に変貌し井の頭線の
高井戸駅のホームから望むことができる。
杉並の名は、明治22年町村制が施行され、阿佐ヶ谷、天沼、
馬橋、高円寺、田端、成宗の6か村の合併時に、当時の郡長が
あまり知られていない「字名」に「杉並」と付くところがあり、
各村の代表も自村名にこだわらず納得して
「杉並村」が生まれた。
第十まであるが、これらの学校の校章は、杉丸太を杉の葉で、
囲んだデザィンになっている。
第五小は、その後、統合したことから校章は変わった。
上の画像をタップすると開校当時の校章。
明治・大正時代の林産物・杉丸太をデザインしている。
地域の特産物を小学校の校章にしたケースは他にもある。
追録
この日は、11時半から、目黒駅近くの中華料理店「香港亭」で
目黒区立油面小学校の昭和30年卒3組のクラス会が開催された。
2019年に開催した後、80の大台間近な仲間だから、新型コロナで
延期をしていたが、幹事の股野道夫さんのお骨折りで
3年振りの開催で、11人が集まった。
上の画像をタップする。
昔話に花が咲いて、14時に解散となった。
都心に出た時はやることが色々あり、帰りに荻窪で下車したもの。