2023年01月04日

井上安治の「道灌山下」をよく見ると、小川で大根を洗っていた。


東京の原風景と、野菜栽培の様子を調べていたときに、版画家井上安治の「道灌山下」の小さな絵を知ることになる。

上野から西日暮里へは谷中の山が壁のように連なっているが、
西日暮里駅の上に道灌山があり、その崖下は明治15年に上野から
熊谷間に鉄道が敷設されたことから、水田や畑は
鉄のレールの下に埋没してしまった。




1-1.JPG

谷中ショウガは、崖下の新堀村、谷中本村の畑で栽培されていた。
三河島村では三河島菜も栽培されていた。
崖下は、台東区の谷中ではなく日暮里で荒川区だ。

上の画像をタップする
道灌山からの水田地帯の景観は廣重の版画に残っているが
道灌山下の様子はこの版画に限る。

鉄道が敷設される前は、石神井川用水の音無川が流れ、
ハガキ大の絵だから良く分からなかったが、パソコンで、
拡大してみると音無川で、大根を洗っている。

形から隅田川流域の汐入地区で栽培した汐入大根のようだ。

洗い終わった大根は馬に乗せて千住の市場に行くようだ。






2-0.JPG

井上安治の道灌山下は、代表シリーズ『東京真画名所図解』にあり
明治14年から描いていて、明治15年鉄道が敷かれているから、
道灌山下の原風景が版画として残っていた。


追録

道灌下に鉄道が通ったことで、産地が無くなったものに
谷中ショウガもある。
産地は尾久へ、さらに埼玉へと移ったと、長老が語っている。

大正14年の復刻地図を見ると、諏訪神社の隣が道灌山。
地図の右下には、石神井用水(おとなし川)が・・・

posted by 大竹道茂 at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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