の3人で、江戸で最も古い七福神詣と云われている、谷中七福神めぐりに行ったことを3日だったか思い出した。
今年は、江戸東京野菜のふるさとめぐりとして”隅田川七福神めぐり”を
思い立って、渡邉副代表に相談、浅草葱善の田中庸浩社長も道案内
してくれるというのでブログでお誘いしたもの。
6日は、平日だったこともあり、お勤めの方は無理だったが、
都合のついた、コンシェルジュ5名にソバリエ協会理事の松本一夫さん
松嶋さんのお友達山口克実さんの9名が参加された。
多聞寺(隅田村)で毘沙門天に参拝するため
6日9時に、上野駅中央改札前に集合して、銀座線で
浅草経由で鐘ヶ淵に向かった。
この辺りは、隅田川と荒川の堤防に挟まれた0m地帯。
鐘ヶ淵からは、江戸東京野菜の「寺島ナス」を栽培する
「たもんじ交流農園」に何度も来ている。
上の画像をタップすると、毘沙門天に参拝。
岸田正博住職も中にいらしたので新年のご挨拶を申し上げた。
山門脇に、この地に縁のある榎本武揚の毘沙門天の碑。

事前に、たもんじ交流農園の案内をお願いしていた牛久光次理事長
(NPO法人寺島・玉ノ井まちづくり協議会)は、
仕事始めと云っていたが、時間を変更して来て写真を撮って頂いた。
上の画像をタップすると拡大
右から、松嶋さん、渡邉さん、大竹、大塩さん、山口さん、
亀島さん、松本さん、佐々木さん
上の画像をタップする
この交流農園、多聞寺の駐車場だった所、公共的な活用ならと、
無償で貸していただいている
砂利が敷き詰められていたところに、会員の力で都市型農業公園に
なったことに参加者は感心しきり。
主に寺島ナス等を栽培しています。
蛍の飼育プロジエクト、ウッドデッキ広場などがあり、牛久理事長は
このような交流農園を区内に広げていきたいと抱負を語った。
小川理事から、たもんじ交流農園便りvol 54とvol 56、
寺島茄子之介の切手を頂いた。
次の目的地は白鬚神社の寿老人の参拝だが、途中隅田村の木母寺へ。
墨田一帯の防火壁として計画された、都営白鬚東アパート9号棟の
横にある榎本武揚の銅像、
かつて9号棟のあるところに木母寺があった。
榎本は東京農業大学を創設し、農業を発展させるためには農民の
教育が大切であると徹底した実学主義だった。

廣重か描いた、「名所江戸百景 木母寺 内川 御前栽畑」の
御前栽畑は四代将軍家綱が食べる野菜を栽培している畑。
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内川は現在埋め立てられているが、木母寺は9号棟のある
場所から高速道路脇に移転している。
御前栽畑は、現在都が管理する広い空き地になっていて、
牛久さんたちは、ここに都民向けの交流農園を作ろう
と考えている様だ。
この辺りは、景観が良かったことから、違った構図でも
彫られていて、内川の河口と料亭の構図は他に、
雪景色や、内川上流から大川(隅田川)方面を
見た景色も残っている。
御前栽畑は、描かれてないが、橋を渡った木々の先にあった。
白鬚公園内を歩いて、白鬚神社に・・・・・
白鬚神社に、寺島ナスの農業説明板を平成9年に建立した
ことから、寺島ナスの復活劇は始まった。
白鬚神社では、白鬚大明神の寿老人に参拝した。
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今井達宮司が社務所にいらしたので、新年のご挨拶をして、
記念写真をお願いした。
右から、田中社長、佐々木さん、亀島さん、今井宮司、
大塩さん、大竹、松嶋さん、山口さん、渡邉さんで
松本さんに撮って頂いた。
今井宮司から全員にミニの絵馬を頂いた(写真左上)
当神社に説明板を建てたことで、地域の皆さんから、
あるなら、栽培してみたい、食べてみたいの機運が高まり、
寺島ナスの復活栽培が第一寺島小学校で始まった。
寿老人と白鬚神社について伺うと、
今井宮司がマスクを取って説明してくれた。
同神社には、寿老人の像は無く
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口髭、あご鬚をなでながら、漢字の違いを説明、寿老人は白いあご鬚を
たくわえている事から白鬚大明神が寿老人だと説明して頂いた。
都営になったことで、園内で「茶亭さはら」を営んでいる。
佐原滋元先生(郷土史家)に電話でお会いできるか伺うと、
体調が悪いというので、電話での新年の挨拶となった。
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園内の福禄寿に参拝。
園内に、隅田川七福神の説明板が建っていた。
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病床の子規に、伊藤左千夫は、「ほとけのざ」を「かめのざ」に
変えた木札をたて、赤いカブを仕立てた籠を贈ったという。