江戸東京野菜のふるさとめぐりとして皆さんと共に歩いてきた。
向島百花園の福禄寿をお参りした所まで、紹介した。
今回は、その先を歩く。
百花園で南に行く道を聞いて、田中社長の案内で歩き始めた。
次は長命寺・弁財天だが、途中、寺島ナスの復活栽培を始めた、
墨田区立第一寺島小学校に向かっていた。
当時の校長を訪ねて130周年事業として取り組んでいただけないかと、
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奇しくも今年開校143年、13年前の話しだ。
結果は相手にされなかったが、ここまで来たから寺島ナスの説明板を
建立した、白鬚神社の今井宮司を尋ねて、130周年の話を伝えると、
現在「寺島」の名は、一寺小、二寺小、三寺小と寺島中学にしか
残っていない、寺島ナスの復活栽培はすべきとのお考え、
次に伺った百花園の佐原さんも同じ考え。
その後、今井宮司が校長先生に電話を入れてくれたことから、
記念事業として実施されることになった。
住宅密集地を歩き始めた。
この辺り、江戸の頃は田圃や畑が多く別荘と聞こえがいいが、
落語などに出てくるところでは、大店の別宅で愛人を囲っていた
ケースも出てくる。
また、大川沿いには、川魚料理や料理茶屋もあった。
この地が、大きく変わるのは、関東大震災以降で、農地は被災者の
住宅用地になったことから、農道がそのまま道路となったので、
曲がりくねった細い道が多い。
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そんな中に、吉川英治の旧邸宅跡や、榎本武揚の旧邸宅跡がある。
吉川旧邸宅跡が墨田区立寺島保育園に、
榎本旧邸宅跡はライオンズマンション言問になっていた。
説明を読むと、日本が誇る世界のホームラン王巨人軍王貞治氏も
この球場から育った。とあるが有名な話だ。
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少年たちが練習をしていた。
飽きるので、途中で立ち止まるところを加えてきたが、
皆さん良く歩いた。
ここで休憩して、言問団子を註文。
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お皿には、都鳥と呼ぶカモメが描かれていた。
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塩漬けの塩味か、餡の甘さを引き立てていて、好きだ。
団子を食べたばかりだから、1人一個注文して、
店内の緋毛氈の床几台に座って頂いた。
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同店の桜餅は、伊勢丹の地下でも売っていたので、
土産にもらったりもして、当ブログで10年前に書いている。
店には、東都のれん会の額がかかっていたが、「長命寺桜もち」の他、
食べてきた「言問だんご」、これから昼食には「駒形どぜう」に
行こうと思っていて、江戸時代創業の「味めぐり」でもある。
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これまで、まわってきたが、福の神は、遠かったり小さかったりで、
良く見えなかったが、こちらの布袋尊は、堂々としている。
鬼平情景の立て札もある。
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境内には、三越のライオンが鎮座している。
そもそも、大國様と恵比寿様は三井の越後屋に祀られていたもの。
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三囲神社の大國神と恵比寿神の物語。
三囲神社から、言問橋の袂には、牛島神社があり、
そこには、江戸東京の農業説明板が建立してあるが、先を急いで
いたのて、スルーして、浅草に向かった。
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振り返ったら、スカイツリーが間近だった。
この先は、浅草寺に寄って「駒形どぜう」に向かったが
それは、また明日。お楽しみに!