2023年01月10日

隅田川七福神めぐりは、駒形まで足を延ばして「どぜう」で打ち上げを行った。


隅田川七福神めぐりは、
向島百花園から言問橋を渡るところまで紹介した。

言問橋西交差点から江戸通りを上り、
東参道・二天門通りを浅草寺に向かって歩いた。

言問橋西交差点を右に下っていくと、200m先に待乳山聖天があり、
翌日の1月7日には恒例の大根祭りが執り行われる。




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浅草寺の二天門まで来ると、人力車が客を乗せて追い抜いていった、

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浅草神社に参拝。
浅草神社では、毎年、田中社長の浅草葱善が、
江戸千住の奉納を行い、皆さんにネギの配布を行っている。

また、境内には、江戸東京の農業「檜前の馬牧」の説明板が
設置してあり、皆さんに見ていただいた。

境内では、三番と四番の纏の奉納があった。






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お隣、浅草寺にお参り。
ここで田中社長が見てもらいたいものがあると、
浅草寺の裏に案内された。

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石柵の裏に浅草葱善の文字が彫られていた。
先々代(曽爺さん)の時代に彫られたようだ。






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2017年に、山形大学の江頭宏昌教授をお連れしたことがあったが、
先生に江戸の食文化を味わっていただき、喜んで頂いたのを思い出し、

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コースの最後は「駒方どぜう」に決めた。

電話で予約をしようとしたが、予約は受け付けて無いという。
お正月も昼は外で待つていただくと云っていた。

13時には、来られると思ったが、到着したのは14時だった。
丁度昼の客が引けたところで、9人が一度に座れた。
ラッキー!!







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明治40年に創業100年を祝った写真が飾ってあった。

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定食を頼んだのは私だけ、ドジョウ汁に味噌田楽、漬物が付いてきた。






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ドジョウの丸は、食べづらいと、裂いたドジョウを頼んだ方、
クジラ料理を頼んだ方もいたようだ。

ネギが銘々に、お皿に乗って出てきたのに驚いた。
唐辛子と山椒の薬味の竹筒と一緒にネギが入ったネギ箱だったが、
コロナの影響で銘々になったようだ。勿論、お変わりは自由。

ビールで乾杯した後は、日本酒も入り、飲むほどに酔いが回り、
食べられないと云っていた方も、勧められたドジョウの丸を
食べたようで、割り下が染み込んだネギと一緒に食べたドジョウは
柔らかく美味しかったと・・・

滝野川の笹欠きゴボウも、逸品で割り下が染み込んで旨い。






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江戸文化道場には、2016年に招かれていて、YouTebeが残っている。

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皆さん、最後が良ければ全て良し、で、店の前で解散した。




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浅草葱善の田中社長はお土産を用意してくれた。

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江戸千住のネギ味噌と江戸東京キラリプロジェクトの資料と
お年賀のタオル。

田中社長ありがとうございました。





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多聞寺で購入した宝船は、
各地で七福神の分体(500円)を買っていくと云うもの

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「隅田川七福神の宝ぶね」は、向島百花園に集まる風流人たちが、
百花園には福禄寿があり、隅田村の本尊は毘沙門天、須崎村の
長命寺は弁財天が祀られていたことから、七福神探しが始った。

隅田川沿いを探すと、長命寺の隣の弘福寺には布袋尊か見つかり、
小梅村の三囲稲荷には、三井の恵比寿と大國の祠が見つかった。

しかし寿老人が見つからない、そこで寺島村の鎮守白鬚大明神は、
白い鬚だから老人だろうと江戸人の機知にとんだ発想で
寿老人となったことから、白鬚神社には寿老人の像は無く、
白鬚大明神自体が寿老人との考え。

これによって七福神が揃った。
その後、隅田川七福神詣で、御分体の像を授かり、
宝船に乗る趣向が、文政年間に生まれたそうで
今は黒い練り物だが、かつては粗い削りの木彫であったろう。





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皆さんご苦労様でした、
帰宅後に、電話があって、亀島さんは柴又の自宅まで
17.000歩、足に湿布を張ったとか、
松嶋さんは小金井の自宅まで20.000歩で、足に豆が出来たとか
お友達の、山口さんは、楽しかったと喜んでいたとか。


隅田川七福神めぐりのスタートはここから。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | イベントの紹介
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