2023年01月20日

大相撲初場所九日目、昼にちゃんこを食べてから、幕下から熱戦を観戦してきた。


大相撲初場所は、熱戦を繰り広げているが、横綱不在、
1人大関の貴景勝が頑張っていたがここにきて連敗。

大相撲は小学生の頃にラジオを聞きながら、星取表を付けていた。
ひいきは三役の栃錦で、技能派の力士、おのずと春日野部屋の力士を
応援していて、春日野部屋が出羽の海部屋一門だったから、
出羽の海部屋の力士も応援対象だった。

当時の横綱は、千代の山、鏡里、吉葉山で、次に栃錦が横綱になった。
若乃花とで栃若時代を作った。




上の動画は 拡大.JPG右向き三角1を押す。
両国駅西口で下車したら、力士幟が、小雨の中はためいていた。
両国は亀戸に行く時に通過するが、両国駅に下車したのは、
2016年に「・両国・江戸NOREN」がオープンした時以来だ。







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この写真、戦後23年頃にGHQが日本の国土を飛行機から撮ったもの。

国鉄の両国駅の写真をアップすると、駅の北側には、
隅田川から引き込んで波止場が作られ小舟が何艘も見える。
小舟の荷を両国駅で汽車に乗せ全国に配送し、
汽車の荷を小舟に乗せて隅田川流域に運んだようだ。

鉄道が敷かれた初めの頃は、新橋も横浜も波止場の近くだった。

戦後、一時江東青果市場があった。
位置は正確ではないが、國技館と江戸東京博物館を建設した。

上の画像をタップする
明治時代に、國技館は回向院の敷地に建てられたが、
戦後はGHQに接収されてメモリアルホールと呼ばれていた。
その後日大が購入して日大講堂となった。

國技館は戦後、蔵前橋を渡った袂に建設された。
幕府の米蔵が並んでいたところでその名がある。
10歳の頃、相撲に夢中だったが、相撲は蔵前國技館で行われ、
昔は両国に國技館があったと聞いていた。

1985年、蔵前が老朽化したことから、現在の地に國技館は
建設されて両国國技館となっている。





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新型コロナが感染拡大する中での6場所、
中止された場所や、お客を入れないで、開催していて、
相撲興行も大変だったと思っていたが、
満員御礼の垂れ幕が下がった。

上の画像をタップする
農大の後輩正代は、大関になった時の勢いがなくなり、
この場所では10番勝てば大関復帰がかなったが、すでに6敗。
しかしこの日は霧馬山に勝利したが、遅い。


追録
暮れの新聞に、相撲観戦の募集が掲載されていた。

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中学の頃に、蔵前国技館のマス席で見たことがあったが、
4人で狭かったのを記憶していたが、マス席に2人と云うので、
友人を誘て行ってきた。

昼食にちゃんこを食べてから、13時半頃から幕下の相撲、
若い行司の素足が、可愛いね


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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