2023年02月02日

「北区史を考える会」総会後の講演として「江戸東京野菜の魅力」を、北とぴあで話してきた。


「北区史を考える会」の有馬純雄会長から依頼されて、1月29日に、
王子で講演を行うことは、案内しているが、有馬会長からは、
北区史に関わる資料を頂いている事は、紹介した。

当日は、令和5年度総会が、13時20分から
会場の「北とぴあ803号室で開催されていて、その後14時から、
月例研究会として、講演を依頼されていたもの。





1-1-8.JPG

総会が始まる前に行くつもりでいたら、王子駅まで迎えに行くと
云っていただいていたが、王子駅近くが会場と聞いていたので、
ご配慮に感謝してお断りした。

見上げるような、北とぴあ803号には13時半には着いていたが、
有馬会長が話しておられたので、お待ちしていた。

上の画像をタップする。
北区史を考えると云うので、ご年輩の大先輩の方々がいらした。
会場には池袋にあった元滝野川種苗の田中克造さんも来ていた。

頂いた時間は1時間だったが、用意してきたパワーポイントでは、
時間をオーバーしそうなので、その点を確認したら、
延びても結構だと云うので、安心して話した。






3-1--.JPG

江戸東京野菜は現在52品目あるが、北区以外の作物を話すと、
それこそ終わらないから北区の特産物でパワーポイントを作った。

北区、板橋区、練馬区、豊島区に、荒川区、新宿区の北部が、
東京府北豊島郡になるが、城北と云われた地域の特産物として、
練馬大根、滝野川ごぼう、滝野川にんじんがあることから、
練馬大根から入った。

上の画像をタップする
練馬大根碑が、昭和15年11月(皇紀2600年)に建立されたが、
11月だから御盛物として、沢庵の樽、滝野川にんじん、
練馬大長尻細、練馬秋詰まり、右の方には、滝野川ごぼうと
練馬大長尻細が写っている。

12月に収穫期を迎える滝野川ニンジンにしろ
練馬大根はやや短かった。






1-1-a2026-thumbnail2.jpg


上の画像をタップする
練馬大根の採種の仕方については、練馬大根栽培ては
長老の渡戸章さんに伺ったことをお伝えした。





sdsdプチャ.JPG

上の画像をタップする
平成9年に、江戸東京の農業の「農業説明板」を都内各地の
神社に建立したが、
「旧中山道はタネ屋街道」と「滝野川ニンジンとゴボウ」の
説明板の設置は、日本農林社の近藤宏会長(当時社長)に
お骨折りを頂いた。

「旧中山道はタネ屋街道」は、旧中山道の入り口の
目に付きやすい場所として、真性寺にお願いして設置して頂いた。
「滝野川ニンジンとゴボウ」は、当然のように瀧野川八幡神社の
故青井宮司の元に持って行ったようだが、結果的に
北区の滝野川西区民センターに設置して頂いた。






4-1-5ャ.JPG

石神井川と谷田川
上の画像をタップする

滝野川の流れは、練馬の三宝寺などを水源とした石神井川で、
石神井川は現在王子駅の脇を流れて、隅田川に流れ込んで
いるが、古くは、王子権現の下あたりは、石神井沼となって
流れは不忍の池に注いでいた。 

武蔵野台地の王子稲荷を描いた絵に大根が描かれ、
日暮里の道灌山下でも大根が描かれていたが、何と云う大根か。






6-1.jpg

上の画像をタップする
滝野川八幡神社の創建820年記念で始まった滝野川ゴボウの栽培は、
9月に収穫祭が執り行われ、ゴボウ汁が参詣者に振舞われた。






7-1.jpg

上の画像をタップする
滝野川かぶと滝野川ニンジンの収穫に伴い
「紅白の祝い汁」が振舞われた。



追伸
8-0.JPG

話の中で、「滝の川は王子権現の下あたりでは流れが穏やかになり
音無川と呼ばれていた。」
と話したが、後日有馬会長から、熊野本宮の近くを流れる音無川の
名を取って音無川と呼ぶようになったと、
地元ならではの情報を教えて頂いた。

上の画像をタップする
「瀧野川八幡神社の一年とその歴史的経緯」について、
有馬会長から頂いた。



追録
総会で、会員に配布された資料を頂いた。


9-1.jpg

JR板橋の駅前に、近藤勇の墓があるが「何故!」と云う、興味深い資料は
有馬会長から頂いた。
上の画像をタップする





9-3.jpg

上の画像をタップする
大正5年の、JR巣鴨駅からJR板橋駅のタネや街道から千川上水が
東上鉄道(現東上線)までの地図。

有馬会長の解説はここから。


posted by 大竹道茂 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 食育・食農・講演会等
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック