江東区中川船番所資料館が実施している特別展の関連講演として、
4回にわたって開催される講演は、1月28日の第1回に続いて
2月18日に第2回が開催された。
時間に遅れてはと、8時前の西武線に乗って、東西線と新宿線を
乗り継いで、東大島に着いたのは9時半だった。
10時半の開催と思って、ホームの待合室で暫く休んでから資料館に
向かったが、10時開催で皆さんお待ちで、5分前の到着だった。
主催者の上地次長には、ハラハラさせてしまった。
八代将軍吉宗で、1時間半の持ち時間となってしまったので、
次回にお話しするとして1回は終った。
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四代将軍家綱のご前栽畑で作られたナス、
五代将軍綱吉と練馬大根、六代、七代は将軍在任が短かったので、
八代将軍吉宗と小松菜と、簡単に復習してから、
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九代将軍家重の時代に、薩摩の島津から献上された江南竹。
幕府では儒学を重要視していたから、
三国時代の呉の人で「二十四孝」のひとり孟宗は、孝行の徳に
より寒中に母の求める筍 を得て、供したという話は誰もが
知っていて、中国のものだと知ると、誰云うとなく孟宗の竹
「孟宗竹」となったと云う一説を述べた。
十代将軍家治については、のらぼう菜の歴史的根拠となる古文書がある。
江戸時代後期の明和4年9月、幕府の関東郡代伊奈忠宥が
地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて、
のらぼう菜の種子を中山間の近隣12ケ村に配布したとある。
十一代将軍家斉は、促成栽培された、ミョウガタケなどの
贅沢品を食べていた。

砂村新左衛門が、遠浅の砂村地区を開発した。
砂村元八幡と云われた、富賀岡八幡宮に砂村新左衛門の
顕彰碑が有る。
かつて、第五砂町小学校で砂村ネギの出前授業を
行っていたが、近くに富賀岡八幡宮がある。