2023年03月13日

大都会東京で見つかった江戸時代の江戸東京野菜の数々。


中川船番所資料館が実施する特別展「江東の農業」の関連講座として
月1回の3回講座を実施した。

1月の講座は、徳川の将軍達と江戸の農業について話した。

2月の講座では、1月の残りの話題と、
江東区の江戸東京野菜について紹介した。




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今回は、これまで話していなかった江戸東京野菜を選んだ。

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3月3日にTBSラジオの生放送で、最近発見された
江戸東京野菜を紹介してほしいと云われたので、
その辺りから入った。

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2021年7月16日の朝日新聞夕刊に、日本では絶滅してしまった
江戸時代のワサビが、
三鷹市大沢の古民家のワサビ田で発見された。

三鷹市では、ボランティアの市民を集めて増殖に努めているが
今月になって、定植作業の手伝いをしてきた。






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東京ベカナは山東菜の若採り野菜で、クセのない野菜。
2017年にNASAは、国際宇宙ステーションの中で、
ペギーウィットソン宇宙飛行士が試作を行っている。






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中川船番所資料館には、海苔の養殖に使われた小舟の
べか舟が展示してあるが「ベカ舟」の表示はない。

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同資料館が発行した「史跡をたずねて」にはベカ舟の文字があるが、
“べか” は小舟のことで、
山東菜の小さい菜っ葉の意味からベカ菜の名がある。




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江戸の頃、郊外の早稲田は、水田とミョウガ畑であった。
当時の様子は、田山花袋が、東京の三十年に書いている。

ミョウガは、種で増やすのでは無く、地下茎でふやすので、
もしかしたら早稲田の旧家の庭にあるのではないかと
探すことを思い立った。

ミョウカタケは促成栽培で、江戸時代は市民の贅沢を戒めることから
禁止されることもあった。






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三河島菜は、荒川区の若い栄養士から荒川区の野菜を探してほしいと
いう思いを受けて発見した野菜で、
伊達藩の足軽が仙台にもち帰り、
仙台では ”芭蕉菜” として定着していた。

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足立区のお寺の息子さんと聞いている先代の三遊亭円楽さんが、
若い頃に目黒の秋刀魚のまくらとして、
話していた三河島菜のくだりは、若い人達に話しても
笑わないが、今回の参加者は下肥を知っている世代で笑ってくれた。






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江戸城濠大根の商品化についても紹介した。
そろそろ皇居の桜田濠から半蔵門にかけての土塁には、
白い花が咲き競う季節になる

家康が江戸に入った時には、日比谷は入り江になっていて海だった。
今の警視庁のある辺りは桜田の渚で、浜大根のタネが
打ち上げられていた。

家康は神田の山を切り崩して日比谷の入江を埋め立てて濠が出来た。

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お濠は、幕府が守り、現在は市ヶ谷の第五機動隊が守っている。
しかし、道路沿いの緑地に飛び種が花を咲かせている。


私の講座は終わったが、
6月に「あさ北きづなサロン」から講師依頼をされていることから
事務局の菊地利子さんが聞きに来られた。

次回は3月25日(土)で、特別展「江東の農業」を
同館の職員が説明してくれる。



posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 食育・食農・講演会等
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