《暮らしの情報コーナー》の5月6月の開催案内は、紹介している。
事務局をされている、菊地利子さんに講師を依頼されたときに
中川船番所の講座に来ていただいた。
5月3日(水)、「井草の歴史を楽しむ記憶の旅」サブタイトルに
〜地元に精通した案内人が井草の歴史や文化をお伝えします〜
とあったので、井草について知りたかったから伺った。
講師は、上井草にお住いの井口茂先生で地元四宮親交会会長。
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「上井草に縄文以降の土器が出土している、
武蔵野台地は雑木林と畑、ススキの生い茂る原野だった。
開発が遅れた理由は、関東ローム層が雨水を地下深く
浸透させてしまい、村落が拓けたのは湧水や河川の水が
利用できる僅かな地域だった。」と・・
「鎌倉幕府の創設に貢献した三浦氏配下の子孫・井口豊前守と
三人の子ども達が、主を失い帰農して、現練馬の関町に
支配下の農民を連れてやってきた。」
この地に定住した井口長左衛門と辰女の夫・井口善兵衛が
この地の草分けだったので、井口が草分けで井草となったと、
菩提寺の住職が話しておられたという。
井草の井口一族は名門で、講師の井口先生の先祖は
組頭をやっていたという。
私の知っている方々では、関町(現立野町)の井口良男さんは、
10代目で紹介している。
現役の頃、杉並区井草の井口喜容氏(大正5年生)と、
井口辰雄氏(大正6年生))は、地元農協の組合長をされ、
井草5丁目の井口繁義さんは青年部長をされていた。
伝統大蔵大根を栽培している清水の井口幹英さんは11代。

軍事産業の中島飛行機東京工場を誘致した話だったが、
当ブログでは農の面から紹介している。
井口先生と同じ上井草2丁目、藍屋の浅賀さんの名前も出たが、
当ブログでも紹介している。
井口先生の話は勉強になった。
名刺交換をして分かったが、教育者で、
東京都退職校長会杉並支部長、四宮小学校運営協議会委員とあった。
だから話はわかりやすかった。
6月21日に依頼されていることから、帰りに
「あさ北サロン」の三木茂代表にご挨拶をした。
名刺には、阿佐ヶ谷寿クラブ連合会会長を始め、
杉並区いきいきクラブ連合会の文化部長をされていて、
江戸東京野菜には興味を持っているとの事。
今年、松の木小学校に伺ったことや、
杉並区立西成田ふれあい農業公園に伺っていることなどをお伝えした。