2023年05月14日

畑の中を走っていた五日市鉄道は廃線となり跡地は「五鉄通り」となっていた。


自宅が学区のつつじが丘小学校は、平成28年につつじが丘北小と
つつじが丘南小が統合して、新校の「つつじが丘小学校」が
開校されたが、青梅線の線路沿いにあったつつじが丘南小の
校庭には、昭島市民図書館が建設されている。

先日、昭島のことを調べに入って「昭島消えた五つの鉄道」
(昭島市教育委員会)が目に留まった。

五日市鉄道立川延長線として、戦前の一時期、昭島には
「五鉄」と呼ばれた五日市鉄道(株式会社)があった。

立川駅と拝島駅を結び、七つの駅があった鉄道はわずか
15年弱で廃止となり、廃線跡は今、「五鉄通り」に
なっていて、大神駅がモニュメントとして設置されている
とあるので出かけてみた。





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「五日市鉄道大神駅跡」は、昭島駅から「昭和通り 」を南に下り、
八高線を渡ったところの大神町1丁目の「五鉄通り」にあった。

ホームが作られていて線路に車輪が乗っていた。
立川方面の次の駅が「宮澤駅」で、拝島方面の
次の駅が「武蔵田中」とある。

上の画像をタップする、
右下の写真は大神駅を過ぎて「武蔵田中」方面に
一直線になっている。




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五日市鉄道は甲武鉄道(今のJR中央線)が新宿から立川まで
開通し、後を追うように立川から青梅までの青梅鉄道(青梅線)が
開通したのは明治27(1894)年11月のことだった。

それから15年後の大正8年(1919)4月、当時、現あきる野市
日の出町から石灰石輸送と旅客輸送を目的とする
鉄道計画が申請された。
これが後の五日市鉄道で「五日市にも鉄道を通したい」という
機運は、多摩川筋(青梅方面)に遅れまいとする
秋川筋の有力者たちの間で起きていた。」と云う。






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上の画像をタップする。
五日市鉄道大神駅跡の武蔵田中寄りに、信号機も設置してあり、
立川方面は写真左上、八高線を渡るのに地下道が掘られていた。
また、拝島方面は写真左下、五鉄通りが一直線に伸びていた。






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五日市鉄道大神駅跡は、先日「美味くて多摩卵」の
指田鶏園横の昭和通りを南下したところにあった。

上の画像をタップする






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その先、右側には初代拝島ネギ保存会会長の
鈴木勇作さんのネギ畑があった。

上の画像をタップする
後継者の寿昭さんが栽培していて、拝島ネギの苗が芽を伸ばしていた。
寿昭さんは、昨年、中神小学校で拝島ネギの栽培指導を行っている。


畑の前の昭和通りを南に下ったところに八高線の踏切があり
その先の交差点に五日市鉄道大神駅跡がある。

posted by 大竹道茂 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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