つつじが丘南小が統合して、新校の「つつじが丘小学校」が
開校されたが、青梅線の線路沿いにあったつつじが丘南小の
校庭には、昭島市民図書館が建設されている。
先日、昭島のことを調べに入って「昭島消えた五つの鉄道」
(昭島市教育委員会)が目に留まった。
五日市鉄道立川延長線として、戦前の一時期、昭島には
「五鉄」と呼ばれた五日市鉄道(株式会社)があった。
立川駅と拝島駅を結び、七つの駅があった鉄道はわずか
15年弱で廃止となり、廃線跡は今、「五鉄通り」に
なっていて、大神駅がモニュメントとして設置されている
とあるので出かけてみた。
八高線を渡ったところの大神町1丁目の「五鉄通り」にあった。
ホームが作られていて線路に車輪が乗っていた。
立川方面の次の駅が「宮澤駅」で、拝島方面の
次の駅が「武蔵田中」とある。
上の画像をタップする、
右下の写真は大神駅を過ぎて「武蔵田中」方面に
一直線になっている。
開通し、後を追うように立川から青梅までの青梅鉄道(青梅線)が
開通したのは明治27(1894)年11月のことだった。
それから15年後の大正8年(1919)4月、当時、現あきる野市
日の出町から石灰石輸送と旅客輸送を目的とする
鉄道計画が申請された。
これが後の五日市鉄道で「五日市にも鉄道を通したい」という
機運は、多摩川筋(青梅方面)に遅れまいとする
秋川筋の有力者たちの間で起きていた。」と云う。
五日市鉄道大神駅跡の武蔵田中寄りに、信号機も設置してあり、
立川方面は写真左上、八高線を渡るのに地下道が掘られていた。
また、拝島方面は写真左下、五鉄通りが一直線に伸びていた。
指田鶏園横の昭和通りを南下したところにあった。
上の画像をタップする
鈴木勇作さんのネギ畑があった。
上の画像をタップする
後継者の寿昭さんが栽培していて、拝島ネギの苗が芽を伸ばしていた。
寿昭さんは、昨年、中神小学校で拝島ネギの栽培指導を行っている。
畑の前の昭和通りを南に下ったところに八高線の踏切があり
その先の交差点に五日市鉄道大神駅跡がある。