先日、滝野川ゴボウと一対で滝野川ニンジンの採種用鉢を作っておけば
良かったと記したが、滝野川ニンジンを思い出したのは、京都の
野菜文化史研究センターの久保功先生から頂いた資料で、京野菜の
金時人参の花を撮られた写真が入っていたからで、
この時期、滝野川ニンジンの花も咲くことを思い出したもの。
頂いた写真の中には、金時人参の花、大根のハザ掛け宮崎、
菊菜の花、さつまいもの花、も入っていた。
伝統野菜の中でも、ニンジンは赤い色が少ないから、ひときわ目立つ
野菜で冬の野菜では欠かせない。
滝野川ニンジンは橙色なのに対して、金時人参は鮮紅色だ。
久保先生は、2004年1月から週2回京都新聞に「京やさい発見伝」を
書かれていて、先月は水菜と、壬生菜を紹介した
そして7回には金時人参を掲載している。
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栽培は東九条村、鳥羽地区とあり、東寺から鴨川に近い当たりで、
現在は市街化が進み、想像すらできない。
ニンジンはアフガニスタンが原産地で、短根のニンジンはトルコを
経由してヨーロツパ各地に広がり、長根のニンジンは、
シルクロードを経て日本に渡ってきた。
鮮紅色の京人参は他に無い色合いだ。
久保先生は、人参の花言葉も紹介している。
人参は、セリ科の野菜で、セリや三つ葉と同じ仲間。
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久保先生は、「京やさい発見伝」の1回で「京芹」を紹介している。
セリは宇治で、葉、茎短くひげ根が長いものを栽培していたという。
美味そうだ。
1993年夏に奈良市の旧大安寺境内から「漬芹」と記した奈良時代末期の
木簡が発見されたことで、東寺の僧坊の食生活の一端が分かり
正倉院文書に残る芹の記録を裏付けたとある。
久保先生は、昔は神経痛や解熱の薬として使われたと指摘、
漬け方として奈良時代にはうす塩であっさりと漬け、平安時代になると
塩をたっぷり使って保存漬けにしたのではと、推測している。
長屋王家野菜木簡広報人としても活動している。
現在東日本の産地では、
秋田県の三関セリや、宮城県の名取セリは長い根が有名だ。
江戸では、水セリとして使われていたが、来歴ははっきりしない。
江戸時代の中頃と言われていて、昭和40年代に用水の周辺が都市化され、
家庭の雑排水が流れ込んだために栽培されなくなっている。
本田ウリや、江戸千住葱保存会会長の内田宏之さんのお宅には、
屋敷内に用水を引き込んでいた跡が残っていて、
作業をする木桶が倉に残っていたという。