2023年05月16日

寺島ナス復活の歴史に名を留める、墨田区立第一寺島小学校の栽培授業に伺った。


先日、三鷹市の星野直治さんのお宅に、江戸東京伝統野菜研究会の
渡邊和嘉副代表と、寺島ナスの苗を分けてもらおうと
伺ったことは紹介した。

その時、星野さんから今年も、東向島にある墨田区立第一寺島小学校
(一寺小)に寺島ナスの栽培指導に行くという。

寺島地区は、現在東向島と地域名が変わってしまった。
かつては寺島村で、明治時代に一寺小が開校したが、
開校当時、生徒の家庭(農家)では寺島ナスを栽培していた。

大正時代には二寺小、昭和には三寺小が開校した、
そして寺島中学と、寺島の名は学校以外には残っていない。

夏野菜の江戸東京野菜を復活したいと考えていた2008年、
江戸東京の農業説明板「寺島ナス」を、地元白鬚神社に
建立していることから、同校の開校130年の記念事業に
寺島ナスの復活栽培が実現した。

以来、星野さんは毎年栽培指導を行っている。

130年式典の様子は、当ブログで紹介している。

今年の正月に隅田の七福神めぐりで、
奇しくも同校の前を通りかかった。






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校門のところで、
星野さんと、花王ピオニー(株)の濱田浩さんにお会いした。
今年の亀戸香取神社の福分けまつりでお会いしたM田さんから、
寺島ナス苗を頼まれていたので、星野さんに
持ってきてもらっていた。

上の画像をタップする
星野さんの出前授業を取材したいと藤井慶正副校長にお願いしていた。

3年生2クラスで70人ほどが、芝生に座って、学年主任の矢野先生から
授業の内容について説明を聞いていた。
星野さんとわたしが紹介された。




上の動画は 拡大マークと右向き三角を押してスタートする。



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星野さんは、すでに寺島ナスの苗を一寺小に届けていて、
寺島ナスを片手に話し始めた。

寺島ナスは、蔓細千成と云い。
細い枝に沢山のナスを付けるという品種。
皆さんが食べている今のナスは、葉が3枚出ると花が咲く、
寺島ナスは葉が2枚出ると花が咲くので沢山ナスが生る。

土が乾いたら水をやってください。
夏は猛暑日も多く暑すぎるので、鉢の周りに
ダンボールなどで囲うとか、鉢にはダンホールを
細かく切った片をいっぱいに入れて、
直射日光を避けてください。

上の画像にタップする
大きな鉢や支柱は、130周年事業でJA東京信連が
プレセントしたもので、大切に使われていた。
人数からして、一鉢に3人、3本のナス苗を植える。

ナス苗は茎を抑えて逆さまにして、ポットを取ると、
真っ白な根がまわっていた。

穴を掘ったところに銘々が植え、
星野さんは、各鉢を回りながら指導を行った、






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星野さんの説明を聞いていたら、ポンポンと肩をたたかれた。
振り返ると、向島百花園の、佐原滋元先生。
かつて百花園でも江戸東京野菜のお話をさせていただいた。

森村聡彦校長(写真左)に用事があってきたという。

上の画像をタップする
130周年当時は学帽がなかったが、記念事業以降
学帽は寺島ナス色に、縁は葉の色で作ったと教えて頂いた。

校庭からはスカイツリーがよく見えるが、
当時、スカイツリーの建設が行われていた。






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星野さんの指導で、寺島ナス苗に1本の支柱をたてた。
支柱が揺らがないように、紐でしっかりと留められ、
ナス苗も結ばれた。

上の画像をタップする
授業の最後に、芝生に集まり、矢野先生から、これからの栽培で
星野さんに云われたことを守って栽培しましょう。
生徒たちは、元気よく応えていた。

尚、矢野先生には、これまで栽培指導は星野さんがされてきたが、
寺島村や寺島ナスの歴史を教えることは行っていないことから、
出前授業を行ってはと提案すると、是非ということになって、
夏休み前に実施する方向で、検討して頂くことになった。


星野語録
かつて星野さんは市民向け講座で寺島ナスの栽培を語る。
ご参考まで。

posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺島ナス、雑司ケ谷ナス
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