6回参加しているが、前回は2021年の谷中七福神めぐりで
(田端駅〜上野駅)を歩いている。
西武線に乗っていった先から指定されたコースを歩いて目的地に
向かうというイベントで、5月11日に、
”廃線散歩「東京競馬場線跡」を歩く!” が企画されていた。
最近、昭島市の旧五日市鉄道の廃線跡を知ったことから、
競馬場から国分寺跡のコースも歩いてみようと思い立って、
昭島から東京行に乗った。
かつて国鉄が運行し、東京競馬場前駅までの旅客輸送にも
使われた東京競馬場線。
昭和48年に廃線となった跡地の遊歩道を歩く。
コースの案内テントが設けられていた。
西武鉄道多摩川線の前進は、1922年にできた多摩鉄道で、
多摩川の砂利を運んでいた。
府中市の多摩川流域には砂利採取でできた穴が沢山あり、
沿線の多摩川競艇場は一番大きな砂利穴を使っている。
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地図をもらって、そこから地図に沿って・・・。
是政駅からスタートしたが、府中街道をしばらく歩いた。
上の画像をタップすると地図
歩行距離:約8km 歩行時間:約2時間の行程とある。

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馬券を買ったことは無いが、パトロールタワーが見えてきた。
競走中に妨害があったかどうか、騎手の騎乗ぶりはどうかなどを
監視する走路監視員が執務しているという。
今年は、第90回の日本ダービ記念レースが5月28日にここである。
府中競馬場は、多摩川浸水想定区域になるっている。
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川崎方面に向かう街道で、川崎街道は府中街道とも呼ばれている。
右手に、JR府中本町駅、線路を潜る。
軌道敷の跡地が市民の憩いの場、子供達の遊び場とった事を記念し、
電車ごっこをする子供達の像として表現しています。とある。
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東京競馬場前駅跡(防災公園)
かつての「東京競馬場前駅」跡地は防災公園と
して整備されている。
1933(昭和8)年に東京競馬場が開場しその翌年に
国分寺駅〜下河原駅(府中市南町3丁目)間を結んでいた。
旧国鉄下河原線からの引き込み線と競馬場前駅が新設された。
当初は競馬開催日に限った旅客輸送だったようだ。
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旧国鉄下河原線の跡地を利用して整備された緑道は、
自転車・歩行者専用道で、緑道に沿って農地が幾つもある。
下河原線は1910年(明治43)年に多摩川の砂利運搬を目的に
東京砂利鉄道(株)が国分寺駅〜下河原駅間に開通させた
貨物専用鉄道が起源になる。
写真右上が引き込み線の分岐地点。
上の道はまっすぐ多摩川に向かい、大きく曲がって
現京王線中川原駅近くの府中市南町3丁目付近で、
砂利を積み込んだ。
その後は東京競馬場への引込み線敷設や常時の旅客輸送、
戦時中は軍用鉄道としての役割も担いました。
南武線の分倍河原の一つ先が西府駅で、西府町では石川孝治さんが、
江戸東京野菜の真桑瓜「府中御用ウリ」を栽培してくれている。
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番場屋を過ぎると、京王線分倍河原駅と府中駅の線路を潜る
なっているが、路面には2本のレールが埋め込まれ、
廃線となった下河原線を印象付けている。
上の画像をタップすると「下河原線の歴史」説明板
1973(昭和48)年の武蔵野線開通に合わせて、
下川原線の旅客輸送を廃止、1976(昭和51)年には
貨物線も廃止になりました。
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府中市民球場は、野球場
武蔵野線北府中駅のあたりから雨が降り始めた。
府中刑務所の長い壁が続く。
この間は只々歩くのみ