頂いた地図を見ると、JR武蔵野線と多喜窪通りが交差するあたりから、
下河原線は曲がって国分寺駅に繋がっているが、
かつての下河原線の痕跡は残っていないとあり、
ここからは、実質廃線散歩とはお別れし遺跡散歩だ。
奈良時代、聖武天皇は仏教の力で国を安定させるという
鎮護国家の思想を唱えて、741(天平13)年に
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諸国に、国分寺(国分僧寺・国分尼寺)の建立を命じた。
ここ武蔵国分尼寺跡には、中門・金堂・尼坊など主要建物が、
埋没保存されている位置に、復元的に表示されている。
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街道脇の丸印の農地が、小坂良夫さんが谷中ショウガを栽培していて、当ブログで紹介している。
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武蔵国国分寺は、
湧水が豊富な国分寺崖線を背に・鎌倉と国府(現府中市内)を
結ぶ古代官道「東山道武蔵路」の東に僧寺、
酉に尼寺を計画的に配置した。

1922(大正11)年に国史跡に指定された。
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かつて、国分寺をスタートする
野菜収穫体験「江戸東京野菜探訪バスツアー」を実施している。
国分寺のお鷹の道の近くで小坂さんが江戸東京野菜の馬込半白キュウリ
などを栽培していて当ブログでは紹介している。
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真姿の池をはじめとする国分寺崖線下の湧水群は、
「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、1985(昭和60)年に
当時の環境庁選定「名水百選」に選ばれました。
白いカラーが咲き競っていた。
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野川に架かる不動橋の先で合流して、小金井、三鷹方面に流れる
1913年に江口定条の別荘として庭園がつくられ、1929年には
三菱財閥創業家の岩崎彦弥太の別邸となった。
その後、再開発計画が持ち上がったが、住民の反対運動から、
東京都が買収して、公園として整備した。
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