駅前のモリタウンでお茶を飲みながら話をすることが多いが、
この時も昭島駅改札で待ち合わせをしていた時に、
ポスターが目についた。
鉄道ファン必見!、「廃線跡」とあった。
これまで、西武鉄道の廃線散歩や、旧五日市鉄道跡を、
歩いていたから、JRが実施する「廃線跡」にひかれた。
コースは、青梅線の終点、奥多摩駅から奥多摩湖までの廃線で、
かつて小河内ダム建設に資材を運搬した路線だ。
小学校5年生 (昭和29年)の遠足で、小河内貯水地(奥多摩湖)の
建設現場をバスで見に行っている懐かしさもあり、
また、昭和43年頃、それまで玉川上水駅で止まっていた西武線が
拝島まで伸びた当時の噂では、西武線は拝島駅につなげたことで、
赤字路線の国鉄青梅線を買収し、奥多摩からは、資材を運んだ
トロッコ鉄道をつないで、奥多摩から小河内ダム一帯の
観光開発をするとの話が流れていた。
噂は噂で終わってしまい、資材を運んだトロッコは廃線となった。
5月20日は、新宿から奥多摩まで、ダイレクトアクセスとして
特急おうめ93号が運行されたが、当日売りは買えなかった。
東京アドベンチャ―ライン(各駅停車)で奥多摩に向かった。
古里駅の近くには、江戸東京の「歴史伝承作物」として
古里一号の発祥の説明板が建立してある
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鳩の巣駅で暫く停車した。
鳩の巣には千島国光さんのワサビ田があったが
2019年10月に奥多摩を襲った台風19号によって、
鳩の巣のワサビ田は大きな被害にあった。
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駅員に紹介されて、
コースの地図を観光協会の事務所でもらって歩き始めた。
氷川には江戸東京野菜の説明板が建立してある。
奥多摩町氷川には、広大な奥多摩の山林を所有する
木村康雄さんの実家がある。
現役時代に同じ職場にいて、今でも懇意にしているが、
現在、東京都森林組合の組合長として活躍されている。
氷川を訪ねたNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶さんと木村さんの
会話は記憶に新しい。
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旧青梅街道と呼ばれていた道で、氷川から. 小河内に達するまでの道。
明治32年に割と平坦な山腹を通る道に改修されて、道程が10キロに
短縮し、木炭の生産が飛躍的に増加したという。
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羽黒三田神社の急な石段は73段で、寄り道はせずに、羽黒坂を上る。
右の先に、トンネルが見えていた。
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小河内ダム建設の工事用資材運搬のために、昭和27年(1952)11月に
完成し、昭和32年5月までの間、総輸送量は約97万トンという膨大な
量の資材を運搬していた。
昭和29年に小学校の遠足で来たことは紹介した。
距離は6.7q、急峻な山間部を通る路線のため、23のトンネルと
23の橋が架かっている。
橋の総延長は1.121m、トンネルの総延長2.285m、区間の約半分が
橋とトンネルとなっている。と頂いた地図にあった。
国鉄奥多摩駅から先へ小河内線は西久保まで伸びていた。
線路は、木々の中に消えていた。
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むかし道を少し行くと。
コンクリートの橋桁の上に線路が伸びていた。
トロッコの鉄道が見えると、今にも走ってきそうな感じがする。
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橋の先は、木々で隠れて見えないが、トンネルのようだ。
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橋を渡る線路がトンネルに向かっていた。
トンネルを過ぎたところに、石仏が並んでいた。
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石仏は何体も祀られていて、ここからむかし道は、右に行く
ものと思っていたら、後ろから来た方が、左だと教えてくれた。
ついていくと、ポイントの槐木(さいかちぎ)があった。
良かった!、右に行くと奥多摩駅に戻るコースだった。
教えてくれた方は脇田さんという方、
特急おうめ93号できたという。
奥多摩駅着は、私よりも20分も早く着いたのに、後ろから来た。
奥多摩駅から小河内線のトロッコは、一端日原の方面に
走って、アーチ橋を渡って、先ほどの線路に繋がっている。
アーチ橋は日原方面で、小河内とは方角が違うのでパスをしたが
話を聞くと、脇田さんは見てきたという。

後日、脇田さんに頼んで、写真を送って頂いた。
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Googlemapで見ると、奥多摩駅から、奥多摩工業氷川工場を抜けて
トンネルに入り、日原川を渡るところにアーチ橋が掛かっている。
川苔山のワサビ田には何度も行ったが、アーチは気が付かなかった。
思い出したが、旧五鉄の車輪は奥多摩工業が寄贈しているが
あの車輪、小河内線の車輪ではないだろうか
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脇田さんも廃線散歩を歩いているようで、「東京競馬場線跡」も
歩いたと云っていた。
今年、還暦を迎えたそうだが、こちらのペースに合わせて頂いた。
この先は、小河内までは後日報告する