中野の歴史民俗資料館で、中野区農業の企画展が開催されていると
教えて頂いた。
中野区にはまだ農家が数軒あり、鷺宮周辺に農地は残っている。
今年になって中野にある、私立新渡戸文化高等学校に、
江戸東京野菜の話をしに行っていて、これから栽培も始まる
予定だから、情報を仕入れに行ってきた。
2023年6月6日日(火)-7月30日(日)で開催されている。
上の画像をタップする。
西武新宿線の沼袋駅下車だから便も良く、電話の翌日行ってきた。
中野には弥生時代の遺跡もあるが、中世には徳川家康の支配下に
置かれ、青梅街道が整備されて中野村が作られる。
苗の供給を行っていた。
現在、「改良中生山ナス」のタネは、江戸東京・伝統野菜研究会の
渡邉和嘉副代表がタネの採種を行っているが、
同資料館の北河直子学芸員は専門外だけに
「あったんですか!」と、驚いていた。
当ブログでは、2011年に山ナスについて紹介している
そもそもは、武蔵野台地で栽培されていたのが西山のナスで、
江戸時代雑司ヶ谷の鬼子母神の祭礼や種苗店で
野菜苗の販売をしていて、雑司ヶ谷ナスと呼ばれていた。
この話は、渡邊さんの先々代のおばさんが、雑司ヶ谷で有名な
園芸商田島家に嫁いでおり、話を聞いていた。
山ナスには早生・中生・晩生があった、草勢強健で病害抵抗力が
強い固定種、現在栽培されているのはジーンバンク
(農業生物資源研究所)に保管されていた「改良中生山ナス」で、
JA東京あおば時代に渡邉さんが取り寄せたもの。
宝暦年間(1751-64)に中野村の名主・堀江家がナス苗を江戸城に
納めていたが、西山(中野以西の丘陵部)と呼ばれた中野で
栽培されたナスを、「山ナス」と呼ぶようになった。
明治14年の堀江家は、堀江夘右衛門が村長をしている。
北河学芸員と意見交換をさせていただいたが、
雑司ヶ谷ナスとは別に「西山のナス」(山茄子)として
復活しても良いのではとの事。
現在農家では石神井の榎本多良さんが栽培されている
雑司ヶ谷ナスは「西山のナス」と呼べる。
中央の農器具の展示コーナーには中の宮ゴボウの細密画
(東京都農林総合センター)の細密画のコピーがあり、
「宝仙寺下の畑で穫れたごぼうは美味だった」とあった。
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ごぼうを収穫するための長い鍬などが並んでいた。
ごぼう用農具3本には「ごぼう掘り」とあり、
年代は木製のものが明治末〜昭和20年代で、
金属製の2本のうち1本が、大正初期〜昭和30年代に
使われていたようだ。
小平の岸野昌さんは滝野川ゴボウに、ゴボウ棒
清瀬の滝野川ニンジン生産農家では、ニンジン棒
と呼んでいした。
青梅街道中野宿は、江戸時代を通じて、大都市江戸へ供給される
物資の集荷地でした。・・・・
江戸時代末期から明治時代初頭になると、ここに集められた
大豆・蕎麦・麦などを素材にして、味噌・醤油醸造、小麦粉・蕎麦粉
の製造など醸造・製造業が地場産業として成長してきました。
上の画像をタップする
ここにある石臼は平成ニ年まで本町一丁目の石森製粉所で蕎麦粉製造に
使われていたものです。とある。
館内には、石森製粉所の地図が展示してあったが、
当ブログでは2013年に紹介している。
「東京府立農事試験場」は、明治33年(1900)4月、豊多摩郡中野町
字谷戸(現中野区中央)、現在の城山公園から大久保通りにかけての
約2.7㎢一帯に東京近郊の農業技術改良の研究・指導のため設立された。
(大正13年・1924に立川市へ移転)
上の画像をタップする。
農事試験場には水田もあった。
「東京府立農事試験場」を描いた絵画が、東京都農林水産振興財団の
理事長室に架かっている。当ブログでは2014年に現在の地図と
対比して農事試験場跡を示している。
今回の企画は7月30日(日)まで、開催されているのでお勧めする。
同館は、江古田村名主を代々務めた山ア家の土地で、
写真は茶室・書院で母屋につながっていた離れ。
同館近辺に、将軍が鷹狩りに来る場所があり、役人がその下見のために
訪れたとき、山ア家が接待するためなどに使用していたという。






