半蔵門に向けて白い花が咲いている事を、日本テロワール協会の
小堀夏佳代表に話し、栽培していることも話したら、食べたいという。
更に話は広がって、日比谷の松本楼で講演を依頼された。
徳川家康が江戸の町づくりを行う以前は、日比谷は入江で海だつた。
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外務省の脇の坂が「潮見坂」で、信号のその先、日比谷公園の方は
海だった証が、潮見坂の柱に記されている。
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皇居の東御苑にも汐見坂があり、堀が出来る前には海が見えたようだ。
追録
この日は、国分寺の眼科医に行ってから、御徒町の吉池で
12時から2時間、同期の友人たちと旧交を温め。
その後、日比谷のあたりを歩いてきた。
昭和41年卒の拓7の同期で、メンバーは、坪井、吉原、横山、前田
片山、清水、松山の8名が揃った。
前回お会いしたのは3月だったが、
高知に住んでいる坪井さんが、この日に出てくるというので、
坪井さんが研究している原発による作物被害に関連して、
この日は坪井さんの講義を酒の肴に、
意見交換を行ったもの。
自分たちでは「楽しくも品格の或る会」(笑)、と呼んでいる。
先日農大の江口理事長(学長)にお会いしたことは、報告した。
今回、卒業以来58年振りの再会が、横山日出現さん
(写真左から二人目)で、フランスのシャモニーに移り住んで
観光の仕事をしていたようで、三國シェフが
スイス大使館の料理長だった頃、スキーをやったとか、
最近は日本とフランスの往復だったが、日本永住を決めた言う。
農水省の外郭団体・日本農業機械工業会の松山徹さんは、
(立っているピンク)18歳後輩だが、江戸東京野菜の大竹に
会いたいと思っていたと云うから嬉しい。
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