2023年09月22日

群馬県こんにゃく特産研究センターの先生方が、檜原在来こんにゃくの収集に来られた。


先月、8月22日に群馬県農業技術センター内にある、こんにゃく
特産研究センターの南雲顕太技師からメールをいただいた。
こんにゃくをネットで検索していたら、江戸東京野菜通信が
ヒットしたと言う。

東京都で在来種と思われる個体が現存していることは
驚きです。
」とあつた。

わが国こんにゃく流通の9割を生産する群馬県だけに、
特産研究センターはこんにゃくのジーンバンク的役割を
担っているという。

東京の伝統野菜や歴史伝承作物の復活普及に取り組む、
当研究会としては常に情報を発信をしている効果が出た。
お互い新たな出会いを生み出してくれたわけ、

そんなことで、檜原村の藤倉と、湯久保にも出かけ生産者と
話し込んできた。

檜原ではお世話になっている鈴木留次郎さんに相談すると、数馬の
お食事処「木庵」でも在来種のこんにゃくを使っていると云う
情報も入ってきた。





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11月の収穫の頃に、案内すれば良いかと思って居たら、葉や茎で
在来かどうかを判断したいから9月中に案内してほしいという。

そんなものかと、鈴木さんと石川敏之さんに日程調整をしていただいて
20日10時に武蔵五日市駅前ロータリーで群馬の皆さんと待ち合わせた。

林道を走るから軽自動車でと伝えていたが、普通車にスコップなどを
積んできたという。

檜原村役場で、皆さんに鈴木さんを紹介した。
檜原村じゃがいも栽培組合の組合長をしているので、ひのジャガ君の
前で記念写真。
前列右から、ゆっくり農縁の石川さん、鈴木さん、高崎健康福祉大学の
廣瀬竜郎教授(農学部生物生産学科作物研究室)、橋田庸一助教、

後列右から、檜原村地域おこし協力隊の友澤勇紀さん、私、
こんにゃく特産研究センター加藤晃センター長、南雲技師。

この後、檜原村地域おこし協力隊の高野優海さんが合流した。
高野さんは(株)西の風新聞社の記者でもある。

一行は車3台で数馬に向かう。





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木庵には、鈴木さんに案内されて、石川さんと
3人で来て、在来こんにゃくを食べている。

上の画像をタップする
鈴木さんは、自分で栽培した野菜を納品している。
青紫蘇の実、金時草、ゴーヤ、胡瓜、サツマ芋の葉、ピーマン。
蕎麦の実が干してあったが、同店では蕎麦の実を挽いて
すぐそばを打つから旨いと評判。
同店の駐車場脇に、支那玉ではないこんにゃくが生えていた。






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木庵の小林中さんご夫妻に、在来種について聞く。
同店では、近くで栽培している方から、購入している。
無い場合は、隣村の丹波山村や小菅村(山梨県)の生産者から
送ってもらう。

上の画像をタップする
加藤センター長は、山梨の在来種の話は初めて聞いたという。
(成果あり)






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小林さんの親戚小林イサさんは、老人ホームに
入ったために、加藤センター長は中さんの了解を得て、
在来種と思われるこんにゃくを堀り収集した。

上の画像をクリックする。
和玉コンニャクは、親玉から、小さい小玉(写真)を出す。
これを生子(きご)と云い、支那種の生子は一般的にヘラ状と
呼ばれていて、棒状でやや扁平な形をしていると云う。

南雲技師は「生育中の個体を掘り上げ、生子がわかりやすい
ように根を除去し、写真を撮影しましたので送付いたします。

と送ってくれた。

こんにゃくセンターでは、茶畑に生えていたこんにゃくを
植えて数年経過をみるという。

高野さんも西の風記者として取材していた。






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橋田助教も在来こんにゃくを収穫。

上の画像をタップする
廣P教授は葉を鋏で収集していた。
加藤センター長はこの畑では、在来こんにゃくの
良いものが収集できたと・・・。
南雲技師は、詳細に記録していた。

この後、数馬の温泉センターで、昼食をとった。


加藤センター長の話では、こんにゃくの価格が良かったのは
昭和50年代で1俵2万円だったが、この時代に生産農家は、大きくなる
支那種や育成品種に切り替えた事から在来種は全国的に減少し、
現在は1俵6〜8千円で、こんにゃく生産農家も減少したと云う。





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数馬から林道で藤倉に向かったが、きのこセンター手前で車を止めた。

前回来たときは、草の中に生えていたが、奇麗に草が刈られていた。

上の画像をタップする
加藤センター長は、「間違いない!」と云っていた。

この場所の所有者が分からないので、道路から確認しただけだった。
近くの木を揺らして山猿が騒いでいた。





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藤倉の田倉信子さんも、お出かけしていたので、前回来た時に見つけたこんにゃくの所に案内した。

在来か、備中か、しばらく判断をしかねていたが、加藤センター長は
欲しいらしく、鈴木さんに、信子さんにお願いして着払いで
送って頂くようお願いしていた。

犬かと思ったらウリボウが道を横切って草むらに消えた。
近くに猪がいるようだ。

上の画像をタップする
信子さんの下の畑では、群馬県農業技術センターが育成した
「あかぎおおだま」だと話し合っていたが、
確か信子さんは、八百屋さんから購入したと云っていた。






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湯久保の高橋ハツエさんのお宅には昼過ぎには行けると思っていたが、15時になっていた。
生産者とお話しするのも必要な事なので止むをえない。

ハツヱさんは、待っていてくれた。

上の画像をタップする
和玉を新聞の上に、1年から4年まで分けて置いてあった。
写真用に有難い。加藤センター長は、間違いなく和玉ですと。

40度はあろうと思われる急斜面がハツヱさんの畑。





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前回写真を撮った一本を加藤センター長は、ハツヱさんに
頂けないかと頼み込んだ。

上の画像をタップする
網袋の中の根から白い生子が2本出ているが、翌年の玉。


先生方に聞いていると、こんにゃく玉は3〜4年ほどで
花が咲くが、花が咲くのに養分を使い果たしてその玉は終わる。






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ハツヱさんは、我々のために自宅の在来コンニャクを
調理していて、全員が頂いた。美味しい!!。

在来コンニャクについて自分の認識が間違っていないか、
ハツヱさんは、センターの先生方に聞こうとメモしていた。

上の画像をタップする

要約・手作り蒟蒻を作るにあたって
★和玉の方が糊分が多いので作りやすい
なぜなら糊分が多いから大きくなるのが遅い

★支那玉の方が、1年で大きくなるのが早い
水分が多いから、水を少なくしないと出来上がりが柔らかくなる

★湯久保では昔(昭和)には、養蚕、炭焼、蒟蒻で生計をまかない、
生活をしていた。
支那玉の方が早く大きくなるので金になるから一時支那玉に
変えたが、でもやはり和玉に変えた。(美味しいから)

右ページは和玉と支那玉の図解






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丸山さんご夫妻には役場でお会いし、
加藤センター長から檜原の在来種を交雑させない方法を
丸山二郎さんに話されていた。


お持ち帰りいただいた在来種はセンターで保存育種されるようだが、
檜原在来種として、中でも違いがあれば、檜原在来の
数馬とか、藤倉、湯久保として守り継いでいただきたい。

改めて当ブログをチェックをしてみたら、こんにゃく好きの
井之口喜實夫さんが出てきた、東吾妻の小山農園から買っていた。





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当日は、日本農業新聞の丸草慶人記者が同行され、
翌日(21日)の首都圏版に掲載された。

移動する車の中でパソコンで記事を打って、編集部に送信していた。
なお、詳細は後日全国版で掲載してくれることになっている。


追録
神奈川の藤岡輝好さんが、facebookで紹介してくれた。

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